三菱石炭鉱業大夕張鉄道

(昭和58年)




三菱石炭鉱業大夕張鉄道

DL-55の牽く旅客列車






昭和58年冬に北海道を旅行した際に、夕張線清水沢駅に降り立った。
お目当ては清水沢から南大夕張まで営業していた三菱石炭鉱業大夕張鉄道である。
そこでは珍しいダルマストーブを積んだ3軸客車が運転されていた。
三菱石炭鉱業大夕張鉄道では当時1日に3本の列車が走っていた。
今思えばここだけで一日を費やしても惜しくなかったのだが、このときの訪問では僅かな時間しか割かなかった。
そのため乗車することは諦めて撮影に専念することにした。
撮影場所は情報が無かったので行き当たりばったりの出たとこ勝負だった。

三菱石炭鉱業大夕張鉄道

当時の時刻表
所要時間約20分
運賃60円




三菱石炭鉱業大夕張鉄道について

三菱石炭鉱業大夕張鉄道は夕張線清水沢~南大夕張間を結ぶ全長7.6kmの非電化鉄道だった。
北海道に唯一残った旅客営業を行う私鉄だった。
列車は全てディーゼル機関車が客車と貨車を牽く混合列車となっていて、廃線となるまでディーゼルカーは導入されなかった。
三菱石炭鉱業大夕張鉄道は山間部にあった炭鉱から産出された石炭を夕張線清水沢駅まで輸送するために明治44年に敷設された専用鉄道を発端とする。
昭和14年地方鉄道として清水沢~大夕張炭山間を開業した。
昭和48年に大夕張炭鉱が閉山、これに伴い南大夕張~大夕張炭山間を廃止した。


活躍していた車両

DL-55 昭和48年11月三菱重工でNo1~3の3両が製造された
国鉄DD13と同一のDMF31SBディーゼルエンジンを2基搭載している
昭和48年12月16日、南大夕張~大夕張炭山間廃止に伴い蒸気機関車に替わって導入された
スハニ1形スハニ6 鉄道院オロシ9219として明治45年3月に大宮工場で製造された3軸ボギー客車
オロシ9219→国鉄スハニ19114となり、美唄鉄道に昭和26年1月払い下げられてスハフ6となった
昭和26年4月にスハニ6となる
昭和29年10月に鋼体化改造が行われた
ナハフ1形ナハフ1 昭和12年9月に日本車輌で製造された唯一の自社発注車両
誕生当初はナハ1だったが、昭和42年8月に車掌室を取り付けてナハフ1となった
オハ1形オハ1 鉄道院オネ7として明治39年に新橋工場で製造された
オネ7→オネ9037→スニ19952→スニ9282→オハフ8857の経歴を経た後、昭和27年2月払い下げられてオハ1となった
車体は昭和27年2月に新製された





三菱石炭鉱業大夕張鉄道

清水沢から線路に沿って歩いて撮影できる場所を探す
時間の制約もあり、100%満足できる場所ではないがカメラを構える場所を決めて列車を待つ
しばらくしてDL-55が客車を牽いて姿を現した
列車の設定は全て混合列車だったが、この列車は貨車は連結しておらず客車のみの編成だった









三菱石炭鉱業大夕張鉄道

煙突から出した煙を僅かに残して、ゆっくりと通過していった









三菱石炭鉱業大夕張鉄道

少し移動して南大夕張へ向かう列車の撮影場所を決める
清水沢から折り返してきた列車は沢山の空車のセキを連ねてやってきた
客車は後尾に連結されていた









三菱石炭鉱業大夕張鉄道

最後尾には3軸ボギー客車スハニ6が連結されていた
屋根からはストーブの煙突が突き出している









三菱石炭鉱業大夕張鉄道

私はゆっくりと山へ向かう列車の後姿を見送った









三菱石炭鉱業大夕張鉄道

炭鉱の求人看板
訪問当時はまだまだ人手が必要だったみたいだ
しかし昭和63年2月に南大夕張炭鉱の閉山が決定、三菱石炭鉱業大夕張鉄道はその前年の昭和62年7月21日に廃止となった