筑波鉄道

(昭和62年)




筑波鉄道

広々とした景色の中を線路が一直線に伸びていた

田土部









筑波鉄道

筑波山に見守られて走る

酒寄









筑波鉄道

東京近郊とは思えないのどかな風景だった

虫掛









筑波鉄道

酒寄









筑波鉄道 キハ762

虫掛






筑波鉄道について

筑波鉄道は土浦~岩瀬間40.1㎞を結んでいる軌間1067㎜、全線が非電化の鉄道だった。
茨城県新治・筑波・真壁地域を経由して国有鉄道常磐線と水戸線を連絡する路線として計画された。
明治44年4月20日に軽便鉄道法により免許の交付を受けて、大正3年4月11日に会社が設立された。
しかし会社設立後に経由地の選定、用地買収、動力の選定(電化か非電化か)などの問題から着工が遅れた。
大正5年2月にようやく工事は土浦側から始まった。
大正7年4月17日に土浦~筑波間20.2kmが開通、同年6月7日に筑波~真壁間10.0km、同年9月7日に真壁~岩瀬間9.9kmが開通して全線40.1kmが開通した。
しかし全線が開通して線路は繋がったものの機関車の購入交渉がうまくいかず、鉄道院の認可が得られなかった為に正常な運行はできなかった。
翌年大正8年2月に機関車が増備されて正常な運行が行われるようになった。
大正末期に再び電化の計画が持ち上がり、併せて岩瀬~宇都宮間の電気鉄道の免許申請が行われて昭和3年5月26日に鉄道敷設免許が交付された。
しかし全線の電化計画に対しては認可が下りなかった。
昭和9年2月には蒸気機関車牽引の列車が土浦~岩瀬間9往復、その他区間運転が5往復運行されていた。
昭和12年5月に気動車が3両入線して内燃動車の使用が始まった。
(運行を開始したガソリンカーはキハ301型301~303の3両、筑波鉄道が発注した唯一のガソリンカー)
ガソリンカーは昭和18年3月に燃料入手難から代燃装置を取り付けた。
昭和20年3月30日に、現在の関東鉄道常総線の前身である常総鉄道が筑波鉄道を合併して、社名を常総筑波鉄道株式会社と改名、常総筑波鉄道筑波線となった。
昭和40年に常総筑波鉄道は鹿島参宮鉄道と合併して関東鉄道になった。
関東鉄道筑波線は経営合理化のために、昭和54年4月1日に鉾田線とともに関東鉄道から分離されて、再び筑波鉄道として独立することになった。




筑波鉄道

新土浦駅に隣接してあった真鍋機関区
筑波鉄道の車両を管理していた

真鍋機関区









筑波鉄道 キハ762

キハ760形キハ762

昭和32年7月 新潟鉄工所製
雄別鉄道キハ49200Y2として製作された
雄別鉄道の廃止に伴いキハ49200Y2 1~3の3両が、昭和45年12月に関東鉄道に譲渡されて筑波線に配置された








筑波鉄道 キハ511

キハ511(2代目)

昭和38年7月 大鉄車輛製
江若鉄道C29M形キハ30として製作された
江若鉄道時代の昭和41年1月にキハ5120に改番された
江若鉄道廃止に伴い譲受して関東鉄道に入線した








筑波鉄道 キハ301

キハ301

昭和38年 日本車輛製
国鉄キハ3016として製作された
筑波鉄道には廃止前年の昭和61年7月に国鉄から譲受して入線した








筑波鉄道 キハ541

キハ541

昭和32年8月 日本車輛製
北陸鉄道コハフ5301として製作された
昭和38年10月にDMH17Cエンジンを搭載してキハ5301となる
昭和47年6月に北陸鉄道能登線廃止の際に常総筑波鉄道に入線した
昭和49年1月エンジンをDMF13Cに載せ替えた









筑波鉄道 キハ461

キハ461

昭和9年 川崎車輛製
鉄道省キハ41000形キハ41056として製作された
昭和32年に形式変更によりキハ04形キハ048になる
国鉄では昭和33年に廃車となり、昭和33年8月に遠州鉄道に譲渡されてキハ801形802となった
昭和42年に北陸鉄道に譲渡されて能登線でキハ5211として使用された
昭和47年6月に北陸鉄道能登線廃止の際にキハ462・キハ541と共に常総筑波鉄道に入線した
同形式のキハ462(キハ41034→キハ046→遠州鉄道キハ801→北陸鉄道キハ5212→常総筑波鉄道キハ462)は昭和56年11月に廃車、キハ461は昭和60年7月に廃車となった









筑波鉄道 キクハ11

キクハ10形キクハ11

昭和32年12月 日本車輛製
常総線ホハ1001として製作された
昭和33年4月に改番されてキサハ53になる
昭和36年11月に日野DS-40B2エンジンを搭載して気動車化されてキハ511(初代)となる
昭和45年12月に水海道工場でエンジンを外してキクハ11となった
訪問時には後部標識灯が外されていて、解体待ちの状態だった









筑波鉄道 トラ104

トラ100形トラ104

昭和32年 日本車輛製の木造無蓋貨車
秩父鉄道トラ3500形として制作された
関東鉄道には昭和51年6月に入線した









筑波鉄道 キハ812

キハ812の解体作業が行われていた
キハ812は雄別鉄道キハ105だった
昭和45年12月に関東鉄道に入線して、昭和61年まで活躍していた









筑波鉄道 キハ504

キハ504

昭和34年に日本車輛で新製されて当初から筑波線に配属されていた生え抜きの車両
空気ばね式台車を装備していて、過去には国鉄水戸線への乗り入れも行われていた

雨引~岩瀬









筑波鉄道 キハ763 キハ762

元雄別鉄道のキハ763とキハ762が顔を合わせる

真壁









筑波鉄道 キハ821

キハ821
元は国鉄キハ10形キハ1047で、昭和54年6月に譲受して入線した

樺穂






筑波鉄道は東京近郊にありながらも非電化でローカルムードがある路線だった。
沿線に筑波山という観光資源を有していて、旅客需要もそこそこあるのではないかと思っていた。
しかし沿線住民や観光客の移動手段はほとんどが自動車で鉄道の利用客は少なかった。
需要を喚起するべく様々な施策が行われたが経営環境は好転せず、昭和62年3月31日に全線が廃止となった。




筑波鉄道 キハ301

雨引~岩瀬









筑波鉄道

田土部









筑波鉄道

雨引~岩瀬









筑波鉄道 キハ763 キハ762

真壁









筑波鉄道

常総北条~筑波









筑波鉄道 キハ503

田土部









筑波鉄道 キハ763常総北条~筑波

夕暮れに轍が遠ざかっていった

常陸桃山