上越新幹線開業前、上越線は東京~新潟間を結ぶ重要なルートだった。
特急『とき』は首都圏と新潟を結ぶ主役として1日13往復が運転されていた。
『とき』に使用される車両は、特急型電車として華々しくデビューした151系の系譜を持つ181系と、直流特急型電車の標準型とも言える183系が使用されていた。
『とき』は上野~新潟間の全線電化が完了するのと同時に誕生、昭和37年6月10日に161系で1往復の運転が始まった。
昭和42年10月には新清水トンネルが開通してスピードアップが図られた。
『とき』はダイヤ改正毎に運転本数を増やしていき、昭和48年10月に1日13往復を運転するまでに成長した。
181系は151系の血筋を受け継いだ直流特急型電車である。
151系は『こだま型』と称されて昭和33年に華々しくデビューした。
昭和37年に東京~新潟間を結ぶ特急列車の運行が計画された時に、山岳区間を含む同区間を走れる仕様として161系が誕生した。
そして161系を使用して上野~新潟間を運転する特急『とき』の運行が始まった。
151系と161系は昭和40年から主電動機の交換等を行い、順次181系に改造されていった。
また151系・161系から改造されたグループとは別に当初から181系として新製された車両もあった。
新幹線が西へ延伸されるとそれまで東海道・山陽線などの在来線を走っていた181系は余剰となり、甲信越地方の特急用として新潟運転所や長野運転所に転属となって『とき』『あさま』『あずさ』などで運行された。
昭和50年に長野運転所の181系は183系と189系に置き換えられて『あずさ』『あさま』の運用を終えた。
181系は新潟運転所を牙城として、『とき』での運用を残すのみとなった。
特急『とき』は首都圏と新潟を結ぶ重責を担って20年間走り続けた。
しかし在来線『とき』に終焉の時がやってきた。
昭和57年11月に上越新幹線が開業した。
新幹線開業と同時に在来線の『とき』はその役目を終えた。
『とき』の愛称は新幹線に受け継がれたが、特急型電車の祖である181系は在来線『とき』の廃止と共にその活躍に終止符を打った。