181系『とき』

(昭和54~57年)




181形 とき

越後中里~岩原スキー場前
(昭和55年8月)






上越新幹線開業前、上越線は東京~新潟間を結ぶ重要なルートだった。
特急『とき』は首都圏と新潟を結ぶ主役として1日13往復が運転されていた。
『とき』に使用される車両は、特急型電車として華々しくデビューした151系の系譜を持つ181系と、直流特急型電車の標準型とも言える183系が使用されていた。

『とき』は上野~新潟間の全線電化が完了するのと同時に誕生、昭和37年6月10日に161系で1往復の運転が始まった。
昭和42年10月には新清水トンネルが開通してスピードアップが図られた。
『とき』はダイヤ改正毎に運転本数を増やしていき、昭和48年10月に1日13往復を運転するまでに成長した。




181形 とき

181系『とき』の愛称版は、53年10月改正から特別天然記念物の朱鷺がデザインされた絵入りの物に変わった

鶯谷
(昭和54年1月)









181形 とき

平野部を疾走した151系時代とは異なる山岳地帯を走る181系

湯檜曽~水上
(昭和55年8月)









181形 とき

高架化前の赤羽を、送り込みの回送列車が上野へ向かう

赤羽
(昭和55年)









181形 とき

181系の運転台

上野
(昭和57年11月)






181系について

181系は151系の血筋を受け継いだ直流特急型電車である。
151系は『こだま型』と称されて昭和33年に華々しくデビューした。
昭和37年に東京~新潟間を結ぶ特急列車の運行が計画された時に、山岳区間を含む同区間を走れる仕様として161系が誕生した。
そして161系を使用して上野~新潟間を運転する特急『とき』の運行が始まった。
151系と161系は昭和40年から主電動機の交換等を行い、順次181系に改造されていった。
また151系・161系から改造されたグループとは別に当初から181系として新製された車両もあった。
新幹線が西へ延伸されるとそれまで東海道・山陽線などの在来線を走っていた181系は余剰となり、甲信越地方の特急用として新潟運転所や長野運転所に転属となって『とき』『あさま』『あずさ』などで運行された。
昭和50年に長野運転所の181系は183系と189系に置き換えられて『あずさ』『あさま』の運用を終えた。
181系は新潟運転所を牙城として、『とき』での運用を残すのみとなった。




181形 とき

靄のかかる山峡を走る

越後中里付近
(昭和55年7月)









181形 とき

残雪の松川橋梁を渡る

越後中里付近
(昭和55年7月)









181形 とき

水上~湯檜曽
(昭和55年9月)









181形 とき

越後中里~岩原スキー場前
(昭和55年8月)









181形 とき

水上~湯檜曽
(昭和55年9月)









181形 とき

妙義山をバックに秋の上州路を駆け抜ける

津久田~敷島
(昭和56年10月)









181形 とき

敷島~津久田
(昭和57年11月)









181形 とき

上越新幹線の開業を目前に控えて、最後の活躍をする

敷島~津久田
(昭和57年11月)









181形 とき

終着駅に向けてラストスパート

川口
(昭和57年11月)









181形 とき

ボンネット型同士の顔合わせ

上野
(昭和57年6月)









181形 とき

越後中里~土樽
(昭和55年9月)






特急『とき』は首都圏と新潟を結ぶ重責を担って20年間走り続けた。
しかし在来線『とき』に終焉の時がやってきた。
昭和57年11月に上越新幹線が開業した。
新幹線開業と同時に在来線の『とき』はその役目を終えた。
『とき』の愛称は新幹線に受け継がれたが、特急型電車の祖である181系は在来線『とき』の廃止と共にその活躍に終止符を打った。




181形 とき

峠道も終わり、平野部でスピードを上げる

新町~倉賀野
(昭和55年3月)









181形 とき

国境の高い山々はまだ雪を被っている

越後中里付近
(昭和55年5月)









181形 とき

険しい山道を辿る

越後中里~岩原スキー場前
(昭和55年9月)









181形 とき

越後中里~岩原スキー場前
(昭和55年9月)