昭和55年頃度々京王線に乗る機会があった。
ある日一緒に京王線に乗っていた友人が、府中を出てしばらく行ったところでアンダークロスする線路を『あれは下河原線の線路だ。』と教えてくれた。
私は下河原線とはなじみがなく、東京競馬場前までクモハ40が走っていたが数年前に廃止になった記事を見たことがある程度だった。
私に下河原線の存在を教えてくれた友人は下河原線に思い出があるらしく、『いつか下河原線の廃線跡を歩こう!』と話をした。
それから程なくその機会が訪れた。
下河原線は中央線の支線として国分寺~東京競馬場前間5.6㎞及び北府中~下河原間3.8㎞(東京競馬場前への分岐点から下河原までは1.5㎞)で構成されていた。
もともとは1910年に東京砂利鉄道として開業したが鉄道省に買収された。
その後紆余曲折を得て昭和27年に下河原貨物駅まで開業した。
国分寺~東京競馬場前までは平日はクモハ40が単行で運転されていた。
休日には競馬場への旅客をさばくために101系で運転されていた。
昭和48年4月1日武蔵野線開業。
これを境に下河原線は国分寺~東京競馬場前間の旅客営業を廃止した。
残っていた北府中~下河原貨物駅間も昭和51年9月20日に廃止となった。
私達は大した予備知識もなく、また事前調査もせずにウォーキングのような軽い気持ちで廃線跡に出かけた。
まず最初に京王線とクロスしている箇所から北側に行ける所まで行ってみた。
しばらく線路が続いていたが、武蔵野線がトンネルから出てくる辺りで線路がぷっつりと切れていた。
そこには金網が張られていてそこから先には行けなかった。
この先は辿るのは難しそうなので、仕方なく私達はここを起点に南側へ歩いて調査することにした。
線路はかなりの部分は残っていたが、一部では撤去作業が始まっていた。
架線柱は結構残っているが、架線は撤去されていた。
分岐点に戻り中河原方面への下河原線跡を辿る。
中央自動車道とクロスする箇所まではおおむね住宅街の間を通っていた。
中央自動車道を越えると一転して見通しのよい原っぱの中を線路跡が通っていた。
空が広く感じられた
下河原駅は側線が4本ある広々としたヤードだった。
私は京王線に度々乗っていたのにこの場所の存在を知らなかった。
ここから京王線中河原駅までは視界を遮るものがなく、駅を見通すことができた。
下河原駅の線路は京王線中河原駅まであと200m位のところでプッツリと切れていた。
引き上げ線の末端部だろうか?
その時は知らなかったが、下河原駅から多摩川の河原まで砂利採取線が伸びていたらしい。
当時私たちはその存在を知らなかったのでここが下河原線の終端だと思っていた。
線路跡が途絶えたここで私たちは下河原線廃線跡の探訪を終えた。