昭和55年頃の西武鉄道には6輌の輸入電気機関車が在籍していた。
主力のセメント輸送は私鉄唯一のF級電気機関車である新鋭のE851型にその任を譲っていて脇役的存在であったが、舶来電機の個性的な面々の存在感は抜群だった。
在籍機関車のうちE61・E71・E52は東海道・横須賀線電化に合わせて鉄道省から発注・輸入された機関車の生き残りである。
当時は幹線鉄道は蒸気機関車が主力であった。
しかし大正8年(1919年)に幹線鉄道の電化方針が閣議決定されて本線を運転できるような大型の電気機関車が必要となった。
当時の電気車両といえば信越線の碓氷峠(横川~軽井沢間)のアプト式機関車・市電などの小型の電車と鉱山等で使う産業用の機関車ぐらいだった。
本線で運転するような大型の電気機関車を製造する技術は国内にはまだ無く、必然的に輸入に頼らざる得なかった。
そのような経緯からイギリス・アメリカ・スイスなどの電化先進国から旅客用・貨物用を合わせて12形式56輌の電気機関車が輸入された。
アメリカ GENERAL ELECTRIC社製
1923年3月製造 出力975KW 自重59.6t
鉄道省により発注・輸入された機関車である。
GENERAL ELECTRIC社からはED11(旧1010)が2両、ED14(旧1060)が4両輸入された。
ED11とED14はよく似ていて主電動機も全く一緒である。
違いはED11は車体牽引式(スイベル形)、ED14は台車牽引式(アーチキューレート形)となっている。
GEの機関車の特徴として高速度遮断機があった。
車体は無駄のないデザインだが、ENGLISH ELECTRIC社製の機関車よりも頑丈そうで整っている印象だった。
ED11型は2両のうち1号機が昭和35年5月に西武鉄道に入線してE61となった。
(2号機は浜松工場の牽引機となった。)
ED14型は4両全てが後に近江鉄道に譲渡されている。
西武鉄道では他の輸入機関車とともに活躍していたが、昭和59年に廃車となった。
アメリカ WESTING HOUSE社製
1922年12月製造 出力820KW 自重60.4t
鉄道省により発注・輸入された機関車である。
WESTING HOUSE社からはED10(旧1000)が2両、ED53(旧6010)が6両、EF51(旧8010)が2両輸入された。
WESTING HOUSE製の機関車は性能が安定していたのか、その他にも私鉄向けに多くの凸型の機関車が輸入された
E61と同じくスイベル形で、鋳鋼製のバーフレームが特徴である。
GE社と同じアメリカ製であるが、WH社製の機関車のほうがスマートな外観である。
洗練された車体のデザインは後の省型電機の手本になったように思われる。
ED10型2両のうち2号機が昭和37年に西武鉄道に入線してE71となった。
昭和61年にE31(2代目)に役目を譲り廃車となった。
スイス BROWN BOVERI社製
1923年製造 出力875KW 自重59.22t アーチキュレート式
鉄道省により発注・輸入された機関車である。
BROWN BOVERI社からはED12(旧1020)が2両、ED54(旧7000)が2両、アプト式のED41(旧10040)が2両輸入された。
BROWN BOVERI社の機関車はいかにもヨーロピアンスタイルの洗練されたボディーが目を引く。
また電気品や動力伝達機構はスイス製らしく精巧にできていた。
特にED54はブーフリ式を採用していて、当時の日本の技術では整備が難しかったらしく短命に終わってしまった。
アプト式のED41は国産機のED42にその技術が受け継がれた。
ED12の性能も素晴らしいものだったらしく貨物列車牽引時に旅客列車を追い抜いたなどのエピソードが伝えられている。
特徴は減速歯車がハス歯歯車となっていて主電動機の両側にあり、そのために大きくなった主電動機を収めるために動輪直径が1400mmと大きい、
外観として長く突き出たひさし等がある。
ED12型2両が昭和25年に西武鉄道に入線してE51・E52となった。
貴重なスイス製機関車も、E51は昭和51年に廃車・E52も昭和62年に残念ながら廃車となってしまった。
イギリス ENGLISH ELECTRIC社製
E42は1927年製造 出力512KW 自重40.6t
E43・E44が1930年製造 出力400KW 自重40.6tである。
(E41型は1927年製造 自重37.6t)
E41型はもともと青梅鉄道で輸入された機関車だが、青梅鉄道が国鉄に買収されて引き継がれ、その後西武鉄道に譲渡された流転の機関車である。
青梅鉄道では1~4号機までの4両が活躍していた。
青梅鉄道の買収により1~4号機は国鉄に引き継がれて1011~1014となった。
その後1011・1012の2両が1949年に西武鉄道に入線してそれぞれE41・E42となった。
1013・1014は国鉄でED36型の形式をもらい、それぞれED36 1・ED36 2となった。
ED36 1・2号機も1960年に西武鉄道に譲渡されてきて、青梅鉄道の機関車4両が再び西武鉄道でともに活躍することとなった。
(ED36 1・2は1960年以前から西武鉄道に貸出しされていたらしい)
ENGLISH ELECTRIC社製の機関車は鉄道省からは34両、その他私鉄でも多数輸入された。
しかし性能は同時期に輸入された他国の機関車よりも良くなく、トラブルも多かったそうだ。
それなのに多く輸入されたのは日英同盟などの政治的配慮からのものらしい。
ENGLISH ELECTRIC社製の機関車の外観は特徴のあるポケット型の通風孔が目を引く。
国鉄で活躍していた車両の大半はポケットが3~4段ずらりと並んでいて目を惹いた。
私鉄型のEE製機関車はそこまでずらりとは並んでいないが、ポケットは健在だった。
また箱型機関車のほとんどは前面が非対称となっていてED51(後のED17 24~26)と似ていた。
西武鉄道E41型も前面はED51に似たEE製私鉄電機の標準スタイルだった。
側面は4両とも差異があった。
また、E41・E42とE43・E44は製造時期だけでなく性能にも違いがあった。
E43・E44は国鉄時代に主電動機が換装された。
西武鉄道では他の輸入機関車に比べて出力が小さく、軽量貨物担当など運用に制約があったそうだ。
E41型は昭和51年、E42が昭和61年、E43・E44が昭和62年にそれぞれ廃車となった。
長きにわたり武蔵野を駆け抜けてきた西武鉄道の主の様な存在の機関車たちも段々と活躍の場が少なくなってきて晩年は工事列車等に活躍の場を見出していた。
しかし昭和61年にE31(2代目)が製作されるとその役目を譲り舶来電機たちは引退した。
日本の電化創世記にはるばる海を渡ってきて、その後の国産電気機関車の発展に大いに寄与した輸入電気機関車、その一部ではあるがE43・E52・E61・E71が横瀬車両基地に保存されていてその貴重な姿を現在に伝えているのは喜ばしい限りである。