西武鉄道 赤色塗装の車両が活躍していた頃

(昭和54~58年)




西武鉄道 551系

朝の通勤輸送で活躍する551系
451系と組んで堂々とした10両編成

ひばりが丘~保谷
(昭和57年)






私は長いこと西武鉄道の沿線に住んでいた。
そのため一番馴染みのある鉄道は西武鉄道だった。
しかし写真撮影を始めたのは昭和50年代半ば頃からと遅く、記録に残っているのは赤色塗装された電車の末期の頃のものだ。
その頃はすでに501系は引退してしまっていたが、551系や451系などの電車はまだ活躍していた。




西武鉄道 551系

551系
ラッシュ輸送に励む

大泉学園~石神井公園
(昭和57年)









西武鉄道 451系

新宿線で活躍する451系

所沢
(昭和57年)









西武鉄道 451系

2連の451系
601系と組んで6連で活躍する

所沢
(昭和55年)









西武鉄道 451系

451系
451系だけの6連+2連の8両編成

大泉学園~保谷
(昭和57年)









西武鉄道 451系

451系

大泉学園~保谷
(昭和57年)









西武鉄道 451系

451系

ひばりが丘~保谷
(昭和57年)









西武鉄道 クハ1411

1411形
国鉄のクハ55に似たスタイルをしていた
リベットこそ無いものの、シル・ヘッダー付きの車体は重厚な面構えだった

西武新宿
(昭和55年)









西武鉄道 クハ1411

クハ1411
半室運転台で車掌側の仕切りは仕切り棒1本だった。
ラッシュ時は大変だったことだと思う

西武新宿
(昭和55年)









西武鉄道 クハ1411

クハ1411
引退間近にはクモハ451と組んで活躍していた

久米川
(昭和55年)









西武鉄道 351系

351系
501系と同スタイルだったが17メートルの車体だった
それが幸いして501系が引退した後も多摩湖線で活躍していた

所沢
(昭和55年)









西武鉄道 サハ1311

サハ1311
多摩湖線で活躍していた351系3連の中間車
写真のサハ1336は371系のクハ1311形を中間車改造したもの
元々クハだった名残として乗務員扉だった箇所のシル・ヘッダーが途切れている

所沢
(昭和55年)









西武鉄道 351系

351系
多摩湖線ではホームの有効長の制限から17メートル車の351系が残っていた

萩山
(昭和57年)









西武鉄道 クハ1601

クハ1601
元々は601系の制御車としてモハ601と4両編成を組んでいた
中間車のモハ601が701系に改造・編入されてしまったので、クモハ451とペアを組んで活躍していたときの姿

小平
(昭和57年)









西武鉄道 701系

赤色塗装だった頃の701系

所沢
(昭和55年)









西武鉄道 701系

701系
101系とは側面窓周りの塗色が異なる

所沢
(昭和54年)









西武鉄道 701系

701系
赤色塗装の701系は冷房化・ブレーキ装置のHSC化の改造を受けて黄色塗装になった

(昭和55年)









西武鉄道 701系

新・旧塗色の701系

東村山
(昭和56年)









西武鉄道 401系

411系を改造して誕生した401系
増結用として活躍していた

所沢
(昭和55年)









西武鉄道 101系

池袋線の主力だった101系
150KWの強力な主電動機を搭載していた
休日のハイキング急行はヘッドマークをつけていた

所沢
(昭和54年)









西武鉄道 101系

101系は秩父線の勾配区間に対応できるように抑速ブレーキも装備していた

(昭和54年)









西武鉄道 101系

初代101系とは前面のデザインが大きく異なった新101系
101系は当初池袋線と秩父線のみで活躍していたが後に新宿線でも活躍するようになった

萩山
(昭和57年)









西武鉄道 2000系

2000系
3扉車が主力の西武鉄道の中で唯一の4扉車だった
新宿線系統で活躍していた

東村山
(昭和56年)









西武鉄道 5000系

『レッド・アロー』の愛称で活躍していた5000系

所沢
(昭和54年)









西武鉄道 5000系

新宿線の特急『おくちちぶ』
西武新宿~西武秩父間を日曜日のみ運転していた

所沢
(昭和58年)









西武鉄道 E851

秩父線で活躍するE851
私鉄で唯一のF級電機だった

(昭和54年)






私がまだ幼少の頃に、池袋から狭山湖(現西武球場前)行きの2両編成の急行が走っていた。
行き先は前面に差し込み式のサボで表示されていてシル・ヘッダー付きの旧型国電に似たスタイルの電車だった記憶がある。
(残念ながら形式はわからない。)
当時の池袋線でも2両編成の急行は珍しかったと思う。
その列車をたまに見かけると嬉しかったが、その姿はいつしか見かけなくなってしまった。


私が西武鉄道の撮影を始めたのはそれからしばらく経った昭和50年代半ばからだった。
その頃には赤色塗装の電車が段々と淘汰されて黄色塗装の電車に主力の座を奪われて行った。
昭和60年頃には赤色塗装の旧型車は一部に残るのみだった。
一部の旧型車は新たな活躍の場を求めて地方鉄道に譲渡されていった。




西武鉄道 三岐鉄道 クモハ605

三岐鉄道に甲種回送される451系
クモハ605として譲渡されていった

所沢
(昭和57年)









西武鉄道 701系

旧塗色の701系

東村山
(昭和57年)









西武鉄道 101系

101系

ひばりが丘~保谷
(昭和56年)