客車列車 (旧型客車)

(昭和53~60年)




客車列車 上野駅









客車列車 石北本線









客車列車 日中線









客車列車 北陸本線









客車列車 北陸本線









客車列車











客車列車











客車列車











客車列車 磐越西線









客車列車 高崎線








客車列車には旅情が感じられた。
木張りの郷愁を感じられる車内、機関車のかすれたような汽笛のあとに、おもむろにゴトンと動き出す出発風景、走っているときは轍の音以外の余計な音はしなかった。

昭和50年代半ば、旧型客車は全国各地で活躍していた。
特に蒸気機関車がその活躍末期まで主力だった線区では、近代化で機関車は置き換えられたが、客車は引き続き使用され続けられることが多かった。




客車列車 東北本線

昭和53年10月改正まで東北本線・高崎線の客車列車を何本か見ることが出来た
写真は高崎行きの2325列車と思われる


赤羽
(昭和53年9月)









客車列車 東北本線

客車列車には荷物車や郵便車が連結されていることが多かった
急行『八甲田』

赤羽
(昭和53年9月)









客車列車 東北本線

東北本線123列車
上野から一ノ関まで運転されていた
東北本線直流電化区間の普通客車列車は昭和53年10月の改正で消滅した

赤羽
(昭和53年9月)









客車列車 東北本線

昭和53年10月改正後も東北本線黒磯以北は依然客車列車が主力だった

白坂
(昭和55年8月)









客車列車 中央線 急行『アルプス』

昭和53年当時、中央東線で日中運転されていた唯一の客車列車 急行『たてしな51号』
岡谷~新宿間を運転している季節列車だった

(昭和53年9月)









客車列車 日豊線

交流電車の車両価格は比較的高価だったため、財政事情の厳しい国鉄では安易に増備できなかった
その為交流電化区間を走る普通列車の多くは客車列車だった

佐土原~日向新富
(昭和53年8月)









客車列車 北陸本線

豪雪の中を走る北陸本線の客車列車

高岡
(昭和56年1月)









客車列車 山陰本線

山陰本線は大部分の区間が非電化だった
その為、古都京都の玄関口にも客車列車が顔を出していた

京都
(昭和60年3月)









客車列車 山陰本線

寝台車を連結して運転していた夜行普通列車『山陰』

宍道
(昭和58年3月)









客車列車 常磐線

上野に日中顔を出していた常磐線の客車列車

上野
(昭和57年11月)









客車列車 東北本線

東北本線交流区間では当たり前だったED75牽引の客車列車

金谷川~南福島
(昭和57年11月)









客車列車 常磐線

現在、地方のローカル列車ではこのように長い編成の列車を見かけなくなった

原ノ町
(昭和59年9月)









客車列車 根室本線

最果ての地で活躍する客車列車
写真ではわかりづらいが、最後尾にコキが連結されている混合列車

根室
(昭和58年2月)









客車列車 常磐線

常磐線の快速線を堂々とした貫録で走る

北小金~南柏
(昭和57年11月)









客車列車 東北本線

北の玄関口で郷愁を漂わせる

上野
(昭和57年6月)









客車列車 急行 越前

夜行列車も段々と12系などの新型客車に置き換えが進められた

大宮
(昭和57年11月)









客車列車 急行 能登

金沢
(昭和57年10月)









客車列車 磐越西線

磐越西線の普通列車は電化区間と非電化区間を通しで運転できるように客車列車が主力だった

東下条
(昭和60年1月)









客車列車 水戸線

首都圏近郊の水戸線にも客車列車の設定があった

小山
(昭和56年1月)








客車列車 函館本線

蒸気機関車が最後まで活躍していた北海道では、牽引機は替われども客車は引き続き使われた

然別
(昭和56年8月)









客車列車 山陰本線

名所を行く

鎧~餘部
(昭和57年3月)









客車列車 北陸本線

翌春に引退を控え、日本海を見ながら最後の活躍をする

有間川~谷浜
(昭和59年10月)