沼尻鉄道は磐越西線川桁駅から沼尻までを結んでいた延長15.6km、軌間762mmのナローゲージの鉄道だった。
沼尻には日本硫黄の鉱山があり、そこで生産される製品を運搬する目的で沼尻鉄道は敷かれた。
沼尻鉄道は日本硫黄摩耶軌道として大正2年5月に馬車軌道として開業した。
開業した摩耶軌道は日本硫黄の製品輸送を行った。
輸送力増強のために大正3年1月からは2両のコッペル製の蒸気機関車を導入した。
昭和20年1月1日に地方鉄道に変更して日本硫黄沼尻鉄道(部)となった。
旅客輸送も行っていたが、貨物輸送が主体の鉄道であった。
しかし沼尻にあった鉱山が昭和37年に閉山してしまい、貨物輸送が激減した。
これにより沼尻鉄道の経営は苦境に陥った。
観光鉄道への脱皮を図り、社名も磐梯急行電鉄に改名した。
しかし努力は叶わず昭和43年10月13日に運行休止、その翌年3月に正式に廃止となった。
昭和58年1月に川桁駅に降り立った。
私は冬休みを利用して東北地方を旅行をしていた。
このときはきちんとした予定は立てず、周遊券を片手に思いつくままに旅行をしていた。
沼尻鉄道の廃線跡を訪れたのは急な思いつきからだった。
その為、下調べもせずに何とかなるだろうと軽い気持ちでの訪問だった。
沼尻に近い中ノ沢温泉に沼尻鉄道の廃車体があることが分かっていたので、それだけでも見ることができればと考えての訪問だった。
降り立った川桁駅の東側にはガランとした空き地があった。
倉庫の前に広がっていたその空地は、かつて沼尻鉄道の駅があった場所だ。
何かで見た現役時の写真を思い出して、この辺に駅舎があったはずだと想像をめぐらせた。
川桁駅からは明らかに廃線跡とわかる道が伸びていた。
しばらく行くと橋梁があった。
(以下3枚の写真は昭和56年11月に川桁駅近辺を訪れた時に撮影したもの)
橋梁を渡ったあともしばらくは廃線跡を辿ることができた。
しかししばらく行くと廃線跡は立派な車道の下に吸い込まれてしまった。
そこで廃線跡を見失ってしまった。
資料も何もなく現在の地図だけで廃線跡を探すは困難だった。
やはり思いつきの行動では限界があった。
廃線跡を辿ることは難しくなってきたが、中ノ沢温泉の廃車体だけでも見たかった。
もし運が良ければその道中に沼尻鉄道の痕跡が見つけられるかもしれないと考えて沼尻まで歩いてみる事にした。
大した発見をすることもなく沼尻に着いてしまった。
廃線跡を辿ることはあきらめて、廃車体が置いてあるという中ノ沢温泉に向かうことにした。
廃車体が置いてある旅館名は知らなかった。
その為目ぼしいところを行き当たりばったりで廻るつもりだった。
苦戦を覚悟したのだが、比較的容易に見つけることができた。
私が沼尻鉄道の存在を知ったときには既に廃止となって何年も過ぎていた。
沼尻鉄道を知るきっかけとなった何かで見た写真は、いかにもローカルムードに溢れていて魅力ある鉄道だった。
この時の訪問では沼尻鉄道の廃線をきちんと辿ることは出来なかったが、私が歩いた道は廃線跡からはそんなに大きく外れてはいないと思う。
磐梯山を望む広々とした景色の中を歩きながら、沼尻鉄道現役時の姿に思いを馳せる事ができた。
中ノ沢温泉で見た廃車体は、後に綺麗に整備されて別の場所で保存されることになった。
最近、保存状態の悪化や費用などの理由で保存車両が解体される話を耳にする事がある。
沼尻鉄道の車両が後世の人々に沼尻鉄道が存在した証として永く大切にされることを願いたい。