新潟交通(電車線)は新潟中心部に近い県庁前から洋食器などの金属工業で有名な燕までを結んでいた。
県庁前~燕間を結んでいた鉄道で全長36.1km、軌間1067mmで全線が電化されていた。
信濃川の水運に替わる交通機関として建設されて、路線は信濃川の放水路として作られた中ノ口川に沿って敷かれていた。
県庁前~東関屋間には併用軌道が存在して、軌道法に則って建設された。
新潟交通は昭和4年6月30日に設立された中ノ口電気鉄道株式会社が基となる。
昭和7年7月7日に新潟電鉄株式会社に名称変更を行った。
昭和8年4月1日東関屋~白根間が開業した。
その後路線を延ばして昭和8年7月28日に県庁前~東関屋間、昭和8年8月15日に白根~燕間35.8kmが開業して全線開通した。
昭和19年9月までは県庁前~東関屋間には5ヶ所の停留所があった。
開業当初は白山前~東関屋間は軌道法により1500Vの電化が許可されず、県庁前~東関屋間が直流600V、東関屋~燕間が1500Vと架線電圧が異なっていて、複電圧車が走っていた。
昭和18年12月31日に新潟合同自動車株式会社と合併、昭和19年1月1日に新潟交通株式会社となった。
昭和20年8月1日に県庁前~東関屋間の架線電圧が昇圧されて全線が直流1500Vに統一された。
県庁前から国鉄新潟駅前までの延伸計画があったが、昭和33年4月30日に免許が失効した。
昭和46年に関屋分水路の工事に伴い東関屋~平島間で線路移設が行われて営業キロが0.3km延びて36.1kmとなった。
昭和60年に新潟県庁が移転して、県庁前の駅名を白山前に変更した。
モハ11 |
昭和8年3月日本車輌東京支店製の半鋼製12m車 モハ11~14は新潟電鉄の営業開始に先立って製作された モハ14(モハ11の前身)はそのうちの1両で、主電動機は56kwを4基装備、台車は日本車輌製D-14だった 昭和41年6月にモハ14を車体更新してモハ11に改番した 新しい車体は16m半鋼製車で日本車輌東京支店で行われた 昭和46年8月に主電動機を75kwに交換した |
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モハ12 |
昭和8年3月日本車輌東京支店製の半鋼製12m車 主電動機は56kwを4基装備 台車は日本車輌製D-14 昭和43年12月に車体更新を行なった |
モハ14 |
昭和8年3月日本車輌東京支店製の半鋼製12m車 モハ11として製作された 主電動機は56kwを4基装備 台車は日本車輌製D-14 昭和38年12月に車体更新を行った 昭和41年6月、モハ14に改番した 昭和46年8月に主電動機を75kwに交換した |
モハ16(2代目) |
昭和2年汽車会社製の半鋼製15m車 伊那電気鉄道向けに製作された車両 国鉄に買収されてモハ1924となった 昭和30年8月に購入して新潟交通に入線、整備して昭和31年1月から活躍を始めた 新潟交通入線時の主電動機は99.2kw4基だった 昭和44年3月に小田急デハ1409の車体に乗せ替えた 台車をブリル27MBC2 主電動機を75kwに交換して、ほぼ車番だけが引き継がれた |
モハ18(2代目) |
モハ16と同時に国鉄から購入した車両 元宮城電鉄の買収車で国鉄ではクハ6300だった 昭和30年8月に譲受して新潟交通に入線、クハ38として活躍した 昭和37年12月に車体更新と同時に電動車化してモハ18となった 台車は日本車輌製D-14 主電動機は75kwを4基装備している |
モハ19 |
大正13年日本車輌東京支店製 東武鉄道デハ6として製作された車両 新潟交通には昭和23年7月に入線した 昭和35年9月に車体更新を行なった 台車はブリル27MBC2 主電動機を75kwを4基装備している |
モハ21 |
昭和8年3月日本車輌東京支店製 モハ13として製作された 昭和42年12月に車体更新してモハ21に改番した 台車はモハ24から転用したブリル27MCB2 主電動機は75kwを4基装備している |
モハ24 |
東武鉄道デハ7として製作された車両 新潟交通には昭和22年10月に入線してモハ17となった 昭和44年11月に車体更新を行ない、モハ24に改番した 台車はD-14、主電動機は75kwを4基装備している |
モハ25 | 昭和44年11月に新製した車体に、手持ちの電機品とD-14形台車を組み合わせて誕生した |
モワ51 |
昭和8年8月日本車輌東京支店製、半鋼製11mの電動貨車 10tの荷重を搭載できる 主電動機は56kw4基、台車は日本車輌製D-14 昭和41年8月に主電動機を75kwに交換している 昭和57年6月に貨物列車が廃止となった後も入換と工事列車に使用された |
クハ36 |
昭和22年6月日本鉄道自動車製 当初は蒲原鉄道に入線する予定だったが、昭和25年7月に新潟交通にモハ16として入線した 昭和25年8月に電装解除してクハ36となった 昭和44年6月に小田急クハ1352の車体に乗せ替えて台車もKS30Lに交換した |
クハ37 |
昭和9年新潟鉄工所製 国鉄キハ41080として製作された 半鋼製16m車で台車はTR11だった 昭和27年1月に国鉄から譲受して新潟交通に入線、制御車化された 昭和47年4月に前面の形状を改造した 昭和53年8月に台車をK30Lに交換した |
クハ39 |
昭和2年日本車輌製 武蔵野鉄道サハ2321として製作された半鋼製16m車 武蔵野鉄道ではサハ2321→デハ2321→モハ224→モハ218→クハ1214という経歴を持つ 昭和38年5月に西武鉄道から譲受して新潟交通に入線した 台車はKS30Lだった |
クハ45 |
昭和19年9月日本鉄道自動車製 クハ35として製作、台車はTR23が使われていた 昭和42年10月に小田急デハ1416の車体に乗せ替えて、台車をKS31Lに交換した 同時にクハ45に改番した |
クハ46 |
昭和19年9月日本鉄道自動車製 昭和42年11月に小田急デハ1408の車体に乗せ替えて、台車をKS31Lに交換した 同時にクハ46に改番した |
クハ47 |
昭和8年10月日本車輌東京支店製の半鋼製12m車 新潟電鉄クハ31としてモハ11~14と同時に製作された制御車 台車はD14形だった 昭和43年5月に小田急デハ1414の車体に乗せ替えて台車をKS31Lに交換した 同時にクハ47に改番した |
クハ48 |
昭和8年10月日本車輌東京支店製 クハ31とともにクハ32として製作された半鋼製12m車 台車はD14形だった 昭和43年10月に小田急デハ1412の車体に乗せ替えて台車をKS31Lに交換した 同時にクハ48に改番した |
クハ49 |
昭和11年日本車輌東京支店製 神中鉄道キハ31とし製作された12m級気動車だった 昭和18年3月に新潟交通に入線、制御車に改造されてクハ33となった 昭和44年12月に小田急クハ1466の車体に乗せ替えてクハ49に改番した 台車はKS30Lに交換された |
クハ50 |
東武鉄道デハ9として製作された車両 新潟交通には昭和23年5月に入線してモハ18となった 昭和37年12月に電装解除してクハ40となる 昭和43年12月に台車をKS30Lに交換、昭和45年7月に車体を小田急デハ1411に乗せ替えた |
キ116 |
昭和7年 大宮工場製のラッセル式除雪車 国鉄キ116として製造された 昭和43年5月に新潟交通に入線した 昭和44年7月に電車との総括制御ができるように改造された |
鉄道の利用状況は昭和40年代には既に芳しくなく、会社の収入はバス経営に依存していた。
訪問時に実際に乗ってみた際は偶々だったのか比較的乗客が多く、まだまだ存続するものと思っていた。
しかし実際の経営状況は厳しく、平成4年3月19日に白山前~東関屋間が廃止、平成5年7月31日には月潟~燕間が廃止となった。
残った東関屋~月潟間も平成11年4月4日に廃止となり、新潟交通電車線は全線が廃止となった。