流山町は古くから水運の集散地として栄えていた。
また特産品として味醂が製造されていた。
明治時代に鉄道の建設計画が持ち上がった際に流山町はこれの通過を拒否した。
そのため明治29年(1896年)に日本鉄道土浦線(現常磐線)が開業したが流山市は通らなかった。
大正元年(1912年)流山町に鉄道を敷設するために流山町の住民が中心となり出願、大正2年(1913年)11月7日流山軽便鉄道株式会社が設立された。
資本金は7万円、株主数は116名だった。
大正5年(1916年)3月14日馬橋~流山間5.7kmが開業した。
開業当初は軌間が762mm、蒸気動力の鉄道だった。
しかし貨物輸送において省線との連絡の不便から改軌を計画、大正13年12月26日に軌間を1067mmに改めた。
またそれに先立って大正11年11月に社名から『軽便』の2文字を削り『流山鉄道』とした。
昭和8年1月には運転経費削減の為にガソリン動力使用の認可を得て旅客列車はガソリンカーとなった。
戦後は燃料の入手難から電化を計画、昭和24年12月26日に1500Vの電化工事が完成、電車による運転を開始した。
昭和26年11月28日に社名に『電気』の2文字を挿入して社名を『流山電気鉄道』とした。
その後昭和42年5月に『流山電鉄』、昭和46年1月に『総武流山電鉄』と社名を変更した。
閉塞方式はまだタブレット閉塞で、日中は旧型車がタブレット交換を行うのんびりした光景を見ることが出来た。
昭和57年12月には単線自動閉塞方式に変更となりタブレットを交換する光景は見られなくなった。
また1200系から始まった西武鉄道からの譲渡車による大型車の増備は続き、旧型車は姿を消していった。