佐野市北部の葛生地区から田沼地区にかけては石灰岩地帯が広がっている。
この豊富な資源を利用して慶長年間には本格的な石灰石工業が始まった。
大正時代になるとドロマイトの大鉱床も発見され、葛生は益々発展した。
現在でも、石灰の埋蔵量は推定15億トンといわれ、 またドロマイトは国内生産量の90%を占めている。
これらはセメントをはじめとする工業原料や、建設資材として採掘されている。
(ドロマイトは苦石灰・白雲石とも言い主成分は炭酸マグネシウムと炭酸カルシウムから構成されていて、鉄鋼用、肥料用等で利用される。)
葛生周辺には主要産業として石灰石鉱山や加工工場が数多くあり操業している。
それらを輸送する目的で葛生は古くから鉄道が発達していた。
かっては東武鉄道佐野線の葛生駅の先に貨物線が敷設されていた。
葛生からは東武会沢線が第三会沢まで(途中駅=上白石・築地・第一会沢)、途中駅の上白石から東武大叶線が大叶まで(途中駅=宮本)、また日鉄鉱業羽鶴専用線が上白石から日鉄鉱業羽鶴鉱山まで延びていた。(途中駅=常盤)
以上の鉄道はいずれも軌間1067ミリメートルの鉄道であり、東武鉄道或いは国鉄へ車両が直接乗り入れていた。
住友セメント専用線は他の鉄道には接続しない軌間762ミリメートルの独立した路線として唐沢鉱山と住友セメント栃木工場を結んでいた。
唐沢鉱山は1937年から操業していて、セメント原料となる石灰石とコンクリート骨材となる砕石を生産していた。
これらを専用線によって上白石駅近くの住友セメント栃木工場まで輸送していた。
専用線は全長3.3キロメートル、全線単線で途中に交換所が2個所あり、DLが鉱車を曳いて輸送していた。
住友セメント専用線は東洋電機製の14.5tDLが3両、日立製作所製の10tDLが5両在籍していた
東洋電機製のDLは単機で、日立製作所製のDLは背中合わせの重連で使用されていた。
鉱車は10t積みの底開きホッパー車が使用されていた。
鉱石輸送で活躍していた住友セメント専用線であったが、輸送量の限界等の理由から私が訪問した直後の昭和55年12月30日に廃止となった。
軌道の跡地には圧縮空気で鉱石を積んだカプセルを運搬するシステムがつくられた。