熊本電鉄

(昭和61年)




熊本電鉄 クハ502+モハ501

主力車として活躍していた500形
静岡鉄道からやってきた

藤崎宮前






昭和61年に九州を旅行した際に熊本電鉄を訪れた。
訪問する直前に熊本電鉄は合理化のために御代志~菊池間を廃止した。
活躍している車両は近代的な500形・5000形・5100形となっていて若干面白みに欠けてはいたが、藤崎宮前 ~黒髪町の併用区間を大型車両が走る光景を見てみたくて訪問することにした。



熊本電気鉄道について

熊本電気鉄道は藤崎宮前~御代志間と上熊本~北熊本間を運行している軌間1067㎜の鉄道で、全線が直流600Vで電化されている。
熊本電気鉄道は明治42年8月15日に会社設立された菊池軌道株式会社が発祥である。
菊池軌道株式会社は明治44年10月1日に上熊本~広町間が軌間914㎜の蒸気運転により開業した。
路線を徐々に延伸して、大正2年3月15日に高江~隈府(菊池)間が開業、大正2年8月27日に広町~高江間が繋がって全線開業した。
大正12年8月から2次にわたって軌間拡幅工事(914㎜から1067㎜)と電化工事を行った。
大正13年4月に商号変更を行い、菊池電気軌道株式会社となった。
昭和17年5月に再度商号変更を行い、菊池電気鉄道株式会社となった。
昭和25年10月1日には新たな路線として上熊本~北熊本間が開業した。同時に北熊本駅付近の軌道を大幅に移設・改良した。
これにより上熊本~北熊本間には経路は異なるが従来からの軌道と新設路線が併存することになった。
運転系統は藤崎宮前~菊池と上熊本~北熊本となり、軌道区間の上熊本~藤崎宮前間は別途の運転形態となった。
軌道区間の上熊本~藤崎宮前間は昭和29年6月1日に台風被害によって休止となり、昭和29年6月に廃止となった。
昭和42年5月に藤崎宮前~菊池間が地方鉄道に変更となった。
同時に逐次別線建設による軌道改良を始めた。
昭和61年2月16日に御代志~菊池間が廃止となった。




熊本電鉄 クハ502+モハ501

訪問直前の昭和61年2月16日に御代志~菊池間が廃止となった
新たな終着駅となった御代志に停車する500形









熊本電鉄

訪問の数ヵ月前までは御代志から先にも線路は通じていた
御代志から菊池方面を望む









熊本電鉄

列車の通らなくなった踏切









熊本電鉄

御代志から菊池方面に少し行ったところに、車止めとして枕木がレールに積まれていた









熊本電鉄 クハ504 モハ5044

熊本電鉄の主力だった500形クハ504と5000形モハ5044

500形クハ504は元静岡鉄道のクモハ100形106
昭和38年 静岡鉄道長沼工場製
熊本電鉄には昭和52年にやってきた
クハ504はクハ化改造されたがパンタはそのまま残されている

5000形モハ5044は元東急デハ5000形モハ5044
熊本電鉄には昭和56年12月に降圧改造されてやってきた

上熊本









熊本電鉄 モハ501 モハ5104

500形モハ501と5100形モハ5104

5100形は元東急デハ5000形を両運転台化・降圧改造を行い昭和60年に4両が入線した
御代志~菊池間廃止時に旧型車は一掃されて500形・5000形・5100系の天下となった

上熊本









熊本電鉄 モハ302

モハ301形モハ302

昭和2年 日本車輌製
小田原急行鉄道モハ1形モハ11として製作される
モハ1形は小田急電鉄創業時に新宿~稲田登戸間の区間用として活躍した
熊本電鉄には同型車4両が昭和34年7月に入線、600V降圧化・両運転台化などの改造を行った
500形が増備されたことによりモハ301形は順次廃車されていった
モハ301形で最後まで残ったモハ302も昭和60年12月27日に廃車となった
写真は廃車後に上熊本に留置されている姿









熊本電鉄 モハ71

モハ71

昭和3年 日本車輌製
広浜鉄道の4として製造された
広浜鉄道は昭和11年9月に国有化されて、モハ90形モハ90005となった
広島が原爆の被害を受けた際に、広浜鉄道の車両の多くが焼失した
モハ90形は3両が残ったが、昭和28年3月に国鉄で用途廃止となった
その後熊本電鉄に譲渡されて昭和29年7月に2両、昭和32年8月に1両が入線してモハ71形モハ71~73となった
モハ71形は主電動機が48.5kw×4の直接制御だったので貨車の牽引にも使用された
モハ71系は昭和53年から廃車が始まり、最後まで残ったモハ71も昭和56年12月に廃車となった
廃車後もモハ71は北熊本工場の入れ替え用として使用された

上熊本