東武熊谷線

(昭和56~58年訪問)




東武熊谷線 キハ2000

何にも無い妻沼駅ホームに1両でたたずむ熊谷線の気動車

妻沼
(昭和56年7月)






かつて熊谷駅から東武鉄道の支線が伸びていた。
東武熊谷線は熊谷から妻沼までの10.1kmを結んでいた。
非電化の路線で、ディーゼルカーで運行されていた。
妻沼は利根川のほとりにあり、熊谷線は利根川に行く手を阻まれたかたちで終わっていた。
建設当初は熊谷線は利根川を越えて小泉線とつながる予定だったが実現しなかった。




東武熊谷線 キハ2000

熊谷線の熊谷駅ホーム
ホームの中程で秩父鉄道と顔を突き合わせる形になっていた

熊谷
(昭和56年7月)









東武熊谷線 熊谷駅

熊谷線の車内から見ると、車止めで行き止まりとなっているのが分かる

熊谷
(昭和56年7月)









東武熊谷線

熊谷を出てからしばらくの間は秩父鉄道と並行して線路が敷かれていた

上熊谷~大幡
(昭和56年7月)









東武熊谷線

中間駅の大幡駅

大幡
(昭和56年7月)









東武熊谷線

熊谷線で活躍していたキハ2000形
キハ2000形は昭和29年東急車両製
定員は109人、車体長は16.5メートルの液体式気動車だった。

妻沼
(昭和56年7月)









東武熊谷線 キハ2000

妻沼構内でキハ2002が休んでいた

妻沼
(昭和56年7月)









東武熊谷線

庫の中にもう一両のキハ2000形がいた
熊谷線の車輛はこの3両のキハ2000形で全てだった

妻沼
(昭和56年7月)









東武熊谷線 キハ2000

キハ2000形の運転台

(昭和56年7月)






熊谷線は当初の目的通りに小泉線と接続が出来なかったために収支は芳しくなかった。
熊谷線は利根川を渡河の夢は叶わず、昭和58年5月31日に廃止となった。
廃止の1週間前から『さようなら 熊谷線』のヘッドマークを付けた列車が運行されて、別れを惜しむ人達で賑わった。




東武熊谷線 キハ2000

大幡~妻沼
(昭和58年5月)









東武熊谷線 キハ2000

大幡~妻沼
(昭和58年5月)









東武熊谷線 キハ2000

大幡~妻沼
(昭和58年5月)









東武熊谷線 キハ2000

大幡~妻沼
(昭和58年5月)