関西の大私鉄・近鉄には数多くの路線があったが、北勢線と内部線・八王子線は軌間が762mmのナローゲージだった。
北勢線には近代的な270系が投入されていたが、内部線・八王子線は依然として旧型車の独壇場だった。
近鉄一員の証として車体が近鉄マルーンに塗られていたが、古典的な車両にタブレット閉塞とローカルムードに溢れていた。
八王子線は三重軌道として明治45年(1912年)に西日野~室山間が開通、年号が変更となった大正元年(同1912年)に室山~伊勢八王子間が開通した。
(伊勢八王子駅は開業時は名称が異なっていた)
大正2年には四日市~伊勢八王子間5.0kmが全通した。
大正5年12月1日に社名を三重鉄道に改称する。
内部線は大正11年1月10日に日永~内部間4.0kmが開業した。
内部から先にも延伸計画はあったが実現はしなかった。
昭和3年1月29日に四日市~諏訪間を伊勢電気鉄道に譲渡して廃止した。
昭和18年12月には電化したが、翌昭和19年3月20日に戦時下の企業統合により三重交通に合併となる。
戦後しばらくして三重交通は全鉄道を近鉄に譲渡することを決定、昭和39年2月1日に三重電気鉄道に譲渡、翌昭和40年4月1日に三重電気鉄道は近畿日本鉄道と合併される。
昭和49年7月25日八王子線の西日野~伊勢八王子間1.6kmが洪水被害により休止、昭和51年に廃止となった。
昭和52年、北勢線に270系が登場して余剰となった車両が内部線・八王子線に転入してきた。
それにより活躍する車両はモニ210、モニ220、サ150とかなり整理されてしまった。
また同時に連結器の自動連結器化も行われた。
古き良き軽便の雰囲気が残っていた内部線・八王子線だったがついに近代化の波はやってきた。
内部線・八王子線用の新形式260系が製造されることになったのだ。
その第一陣が昭和57年12月に配置された。
その後も260系の増備は続き旧型車の活躍の場は少なくなってきた。
そして昭和58年5月~6月には旧型車のさよなら運転が行われて、一部の予備車を除いて引退した。