大私鉄・近鉄にはナローゲージの路線として内部・八王子線と共に北勢線があった。
昭和50年代当時、内部・八王子線は旧型車が残っていたが、北勢線は新型車両の270系電車が新製投入されて世代交代が進められていた。
近代化された路線ではあったが、新型車の合間を縫って活躍する近鉄北勢線の前身である北勢軽便鉄道時代から活躍している旧型車や、三重交通から転属してきた珍しい3連接車などの姿を見ることができた。
昭和59年2月に近鉄北勢線を訪問した。
この日は東海地方に降雪があり、雪景色の中での撮影となった。
北勢線は北勢軽便鉄道として明治45年3月10日に会社を創立、西桑名~楚原間を大正3年4月5日に開通した。
その後、西桑名~桑名町間が大正4年8月5日に開通、楚原~阿下喜東(大石)間が大正5年8月6日に開業した。
阿下喜東~阿下喜間は工事が難航したが、昭和6年7月8日に開業、これにより桑名町~阿下喜間が全通した。
また同時に全線が電化された。(一部の貨物線を除く)
昭和9年6月に社名を北勢電気鉄道に改めた。
その後は内部・八王子線と同じ運命を辿り、昭和19年3月20日に戦時下の企業統合により三重交通に合併となる。
戦後しばらくして三重交通は全鉄道を近鉄に譲渡することを決定、昭和39年2月1日に三重電気鉄道に譲渡、翌昭和40年4月1日に三重電気鉄道は近畿日本鉄道と合併される。