加悦鉄道

(昭和60年)




加悦鉄道 キハ083






かつて宮津線の丹後山田から丹後ちりめんの産地だった加悦町まで加悦鉄道が通じていた。
全長5.7㎞の小さな鉄道だったが客車から改造されたキハ08形など、趣のある車両が活躍している魅力ある鉄道だった。
いつか訪問したいと思いながらなかなかその機会を得ることが出来なかったが、廃止直前になってやっと訪問することができた。



加悦鉄道について

加悦鉄道は国鉄宮津線の丹後山田から加悦までの5.7㎞を結ぶ鉄道だった。
軌間1067㎜の非電化の路線で、単行のディーゼルカーで旅客営業を行っていた。
加悦鉄道は大正14年5月5日に資本金30万円で会社を設立、大正15年12月5日に丹後山田~加悦間が全線開通した。
昭和14年7月28日にニッケル採掘を行う大江山の開発を行う名目で、大江山ニッケル鉱業に経営権を委託した。
昭和15年大江山からニッケル鉱石を運び出すために、加悦~大江山鉱山間2.65㎞が開通した。
昭和17年10月14日丹後山田から岩滝工場への側線(岩滝線)4.08㎞が完成した。
昭和18年12月大江山ニッケル鉱山が日本冶金工業に合併されて、日本冶金工業の傘下に入った。
終戦後に大江山鉱山は閉山となった。




加悦鉄道 加悦駅

加悦駅に集う加悦鉄道の車両
現役車両に混ざって保存車両の姿も見える









加悦鉄道 キハ1018

キハ1018

昭和31年2月 帝国車輛製
国鉄キハ1018として製作された
加悦鉄道には昭和55年に入線した
廃止までの5年間、旅客輸送の主力として活躍した









加悦鉄道 キハ083

キハ083

昭和46年に国鉄から譲渡されてきた気動車
国鉄時代に客車を気動車に改造して誕生した車両
元は昭和26年に国鉄オハ62 130として国鉄盛岡工場で製作された
昭和37年3月にDMH17H型ディーゼルエンジンを搭載して気動車に改造、キハ40形キハ403となった
昭和41年8月に形式変更によりキハ08形になる
国鉄では昭和46年に廃車となり、加悦鉄道に譲渡されて昭和46年12月に入線した
昭和47年2月から廃線までの間活躍した









加悦鉄道 キハ083

キハ083の車内
客車時代の面影が残る









加悦鉄道 キハ083

キハ083の運転台









加悦鉄道 キハ083

車体には親会社である日本冶金鉱業のマークが付けられていた









加悦鉄道 キハ51

キハ51

昭和11年10月 日本車輌製
芸備鉄道キハユニ18として製作される
芸備鉄道の国鉄買収によりキハユニ40921となる
その後、船木鉄道に払い下げされてキハニ51となる
船木鉄道は昭和36年10月15日に営業を休止した
活躍の場を失ったキハニ51は昭和37年4月に加悦鉄道に譲渡されてきた
加悦鉄道では大型ディーゼルカーとして重用された
しかし昭和55年にキハ1018が入線してからは使用されなくなった









加悦鉄道 DD352

DD352

昭和49年7月 川崎重工業製
日本冶金工業発注の35t機
岩滝専用線の貨物列車牽引機として活躍した
昭和59年2月1日の貨物列車の運行終了まで活躍した









加悦鉄道 DC351

DC351

昭和31年1月 汽車会社製
南部鉄道のDC251として製造された
昭和42年7月に日本冶金大江山工場が購入
同年8月24日から岩滝専用線の貨物列車牽引機として活躍を始めた
貨物運用の合間に客車を連結して旅客列車も牽引した
昭和46年にキハ083入線後は旅客列車はディーゼルカーでの運行となり、客車列車を牽引する姿は見られなくなった
昭和49年にDD352の入線後は予備機となった









加悦鉄道 加悦駅

加悦駅構内には曰くのありげな廃車体が置かれていた









加悦鉄道 加悦駅






地方の小私鉄は経営環境が厳しかった。
加悦鉄道も旅客収入は振るわなかったが、岩滝線の貨物輸送受託収入に頼って存続してきた。
しかし、国鉄の合理化の一環として昭和59年2月1日に宮津線の貨物輸送が廃止となり頼りとしてきた貨物収入が途絶えてしまった。
そして翌年の昭和60年4月30日に加悦鉄道は廃止となり、60年の歴史に幕を下ろした。




加悦鉄道 キハ083

国鉄連絡駅の丹後山田で佇むキハ083

丹後山田









加悦鉄道 キハ083

キハ083

丹後山田









加悦鉄道 キハ083

キハ083

加悦