鹿島鉄道

(昭和57年)




鹿島鉄道 キハ712

石岡駅の片隅で乗客を待つ鹿島鉄道の列車






鹿島鉄道について

鹿島鉄道は石岡~鉾田間27.2㎞を結んでいる軌間1067㎜、全線が非電化の鉄道だった。
鹿島鉄道の前身は鹿島参宮鉄道である。
鹿島参宮鉄道は霞ケ浦北岸地方を常磐線と結ぶ目的で大正11年9月に会社が設立された。
最初に石岡~常陸小川間7.1㎞が大正13年6月8日に開業した。
その後大正15年8月15日に常陸小川~浜間、昭和3年2月1日に浜~玉造町間と徐々に路線を延伸していった。
昭和4年5月16日に玉造町~鉾田間が開通して、石岡~鉾田間の全線開業を果たした。
鹿島参宮鉄道はその名前の通り、当初は鹿島神宮への延伸も計画されていたが実現することはなかった。
昭和18年11月1日、戦時下の企業統制により竜ケ崎鉄道を合併して、鹿島参宮鉄道線は鉾田線となった。
昭和40年6月に常総筑波鉄道と合併して関東鉄道鉾田線になった。
収支の芳しくなかった鉾田線は昭和54年4月1日に関東鉄道から分離されて、鹿島鉄道として独立することになった。




鹿島鉄道 キハ432

石岡駅に隣接していた石岡機関区では、多くの鹿島鉄道のディーゼルカーが体を休めていた









鹿島鉄道 キハ602

キハ602

昭和12年 大宮工場製
国鉄キハ07型キハ0732として製作された
鹿島鉄道には昭和41年10月に国鉄から譲受して入線した
総括制御化改造と前面の切妻化が昭和47年12月に西武所沢工場で施工された。
その後昭和62年にワンマン化改造、平成6年には冷房化改造が行われた。
写真はワンマン化・冷房化前の姿









鹿島鉄道 キハ602

キハ602

前面は改造されて近代的なスタイルになっていたが、側面はキハ07型の面影が良く残っていた









鹿島鉄道 キハ715

キハ715

昭和31年11月 新潟鉄工所製
夕張鉄道キハ254として製作された
夕張鉄道では49年4月に廃車となった
鹿島鉄道には昭和51年1月に入線した










鹿島鉄道 キハ432

キハ432

昭和32年 東急車輌製
加越能鉄道キハ120形キハ126として製作された
加越能鉄道加越線は昭和47年に廃止となった
活躍の場を失ったキハ120形2両が昭和48年に鉾田線に入線してきた









鹿島鉄道 キハ411

キハ411

昭和9年 新潟鉄工所製
鉄道省キハ41000形キハ41077として製作された
昭和32年に形式変更によりキハ04形キハ0410になる
国鉄では昭和33年1月に廃車となり長野工場で保管されていた
昭和34年に常総筑波鉄道に譲渡されて入線、キハ41005となり常総線で使用された
昭和38年に液体式に改造される
昭和40年4月に筑波線に活躍の場を移した
昭和45年に鉾田線に転属となる
昭和47年6月に総括制御化と片運転台化改造が西武所沢工場で行われてキハ411となった
ほぼ同じ経歴のキハ412とペアを組んで活躍していた

※新潟製作所製と云うのは公称であり、現車には「川崎車輌 昭和9年」の銘板が取り付けられていた









鹿島鉄道 キハ712

キハ712

昭和33年1月 新潟鉄工所製
三井芦別鉄道キハ102として製作された
三井芦別鉄道は昭和47年5月12日に旅客営業を廃止した
用途を失ったキハ101~103の3両を譲受、キハ711~713として入線した