関西本線名古屋口にて

(昭和54年)




関西本線 82系 特急南紀

名古屋から関西本線・伊勢線経由で新宮・紀伊勝浦まで結んでいた特急『南紀』

名古屋






昭和54年に東京から出発して西日本をぐるりとまわる撮影旅行に出掛けた。
当時中学生だった私はなるべく旅費を安く上げるために、乗車券は一筆書き切符を購入、優等列車は使わない計画を立てた。
(当時は『青春18きっぷ』がまだ発売されていなかった。)

その行程の中で、一筆書き切符の条件を成立させる為に名古屋から921列車に乗車した。
名古屋を15:19に出発するこの列車の行き先は紀勢線経由天王寺行き。
そう、この列車は新宮から寝台車を連結して『はやたま』の愛称となる伝統ある列車だった。

この列車に乗車する時に、名古屋~亀山間で撮影した写真が何枚かあった。





関西本線 82系 特急南紀

特急『南紀』はこの写真を撮影した前年の昭和53年10月にキハ82系により運行開始された
特急『くろしお』の一部が天王寺~名古屋間を運転していたが、これの運行系統を分割して誕生した
東京圏では昭和50年に奥羽本線の電化により特急『つばさ』が電車化されて、それ以後関東では特急形気動車を見ることが出来なくなってしまった
(『つばさ』は181系だったが)
そのため久しぶりの特急形気動車との対面は嬉しかった

名古屋









関西本線 キハ36 28

関西本線のローカル列車
関西本線の名古屋口はまだ非電化だったので客車列車と気動車が活躍していた
写真は奈良運転所所属のキハ3628

名古屋









関西本線 キハ35 170

キハ3628と組んで活躍するキハ35170
キハ35170は後に関東に転属して相模線で活躍していた
その後、関東鉄道に譲渡されてキハ3521として活躍した
関東鉄道では何とこの写真で手を組んでいたキハ3628と再び対面した
キハ3628はキハ351として一足早く関東鉄道で活躍していた

名古屋









関西本線 キハ17系

キハ17の活躍する姿も見ることが出来た
当時10代形式の気動車は淘汰が進められていて、だんだんと見ることが出来なくなっていた
亀山機関区にはキハ16が1両、キハ17が2両配置されているだけだったので見ることが出来たのは幸運だったのだろう
(配置の情報は昭和54年10月時点)


永和









関西本線 DD51 荷物列車

関西本線は本線らしく荷物列車も走っていた
百済から熱田までの荷物列車と思われる


桑名






私が乗車していた921列車は亀山に16:51到着した。
出発は17:21で30分の停車時間があったので、亀山駅に隣接してあった亀山機関区を眺めて過ごした。
亀山機関区では紀勢線で活躍していたDF50の姿を見ることが出来た。
このときは駆け足の撮影旅行だったので、関西線・紀勢線の撮影に時間を割くことができなかった。
じっくりと撮影する時間がなく、残念ながらついで感のある写真しか撮影できなかった。
(乗車した921列車は牽引機がDD51だったこともあり、写真は1枚も撮影していなかった。)




関西本線 亀山機関区 DD51 DF50

亀山機関区にはDF50が配置されていて主に紀勢線東部で活躍していた
昭和54年頃には亀山機関区のDF50はDD51に置き換えが進んでいた
亀山のホームから見える機関区もDD51が主役として幅を利かせていた

亀山









関西本線 亀山機関区 DF50

駅の側線には休車になったと思われるDF50が留置されていた
先頭に写っているのはDF50 24号機

亀山









関西本線 亀山機関区 DF50

休車札がささっていたDF50 53号機

亀山









関西本線 亀山機関区 DF50

DF50 54号機
やはり休車札がささっていた
この写真を撮影した翌年の昭和55年3月に亀山機関区のDF50のさよなら運転が行われた

亀山