山陽本線の瀬野~八本松間は西の箱根と呼ばれ、急勾配の続く難所として有名である。
この区間は20‰超の勾配区間が続き、上り列車のみ補機を連結していた。
山陽本線が電化された際にこの区間専用の補機としてEF59が配置された。
EF59はEF53及びEF56改造して誕生した。
EF53からEF59への改造は昭和38年から昭和43年にかけて行われた。
種車となったEF53は省型電機としてEF52・ED16に次いで製造された。
主電動機はEF52・ED16と同一のMT17(13号機以降はMT17A)を使用していた。
EF53は省型電機の傑作といわれ、その優秀な走りから16号機と19号機はお召機となった。
EF59への改造は歯車比を1:2.63から1:3.67
定格速度を57.2km/hを42km/hとした。
また上り方の連結器を高速貨車と連結できる様に密着自動連結器に交換、解放テコを空気シリンダで扱えるようにした。
また視認性を高めるために下り方をゼブラ塗装にした。
EF53は19機全てがEF59に改造された。
山陽本線の増発によりEF53全機をEF59に改造しただけでは足りなくなった。
その為同じ性能を有しているEF56からもEF59に改造されることとなった。
EF56からは5両が昭和44年から47年にかけて改造された。(EF59 20~24号機)
20~23号機は丸形車体、24号機は角形の車体だった。
EF56はSGを搭載していたのでボイラーの撤去と歯車比の変更(1:2.63から1:3.67へ)が行われた。
EF56の車体はボイラーを搭載して水を使用していたためか痛みが激しかった。
昭和52年になると老朽化したEF59を置き換えるためにEF60を改造したEF61 200番台が投入された。
しかし運転上の不具合が発生してEF61200番台への改造計画は途中で中止となり、既に配置されていたEF61200番台も運用に制約があった。
そのため重量貨物列車の補機仕業はEF59が老体に鞭を打って続けられた。
昭和57年になるとEF59の置き換え用としてEF67が配置された。
EF67は重量貨物列車の補機仕業も担当するようになり、昭和61年にEF59は全機が引退した。