上越線は東京と新潟を結ぶ目的で建設された。
特に水上~石打間は湯檜曽・松川の2つのループ線と清水トンネルによって峠を越える難工事だった。
上越線が開業する前は東京と新潟間は長野・直江津を通る信越本線経由か、郡山を通る磐越西線経由がメインルートだった。
昭和6年9月1日に水上~越後湯沢間の開通により上越線が全通して、上越線経由が東京と新潟を結ぶメインルートとなった。
水上~石打間は勾配が連続していた。
その為に上越線の水上~石打間を通過する客車列車・貨物列車の大部分は補機を必要としていた。
私が訪問した昭和55年当時その任にあたっていたのは水上機関区所属のEF16である。
EF16は全機が水上機関区に所属していて水上と石打で前補機として連結されていた。
この区間を通過する列車の本務機は旅客列車はEF58・貨物列車はEF15・EF64・EF65PFだった。
EF16は重連総括制御ではないので、本務機との間で力行・惰行を汽笛合図で連絡していた。
EF16は勾配区間を走行するためにEF15を改造して誕生した。
連続した勾配区間を走行する車両にタイヤユルミなどが発生して安全上問題がしたために、EF15に電力回生ブレーキを装備して雪害対策を施してEF16が誕生した。
EF16には奥羽線用と上越線用があり性能や外観に差があった。
上越線用のEF16は昭和31年~33年にかけて合計12両が改造された。
奥羽線用は福米形と呼ばれ、板谷峠で活躍した。
外観上のつらら切りや屋根上の水タンクに特徴があった。
こちらは上越線用のEF16よりも一足早く昭和26年~27年にかけて合計12両が改造された。
奥羽線にはその後EF64が投入されたために、EF16は上越線に転属となってEF15に再改造された。
その際に11・12号機の2両は上越線用の仕様と同一に改造されてEF16のままで残された。
運転速度の低い貨物列車は夜間が中心となり、日中走るのは数本だけだった。
夜は貨物列車が多く走り、それに加えて夜行列車群が走り水上と石打では補機の解結で忙しそうだった。
EF16とEF58の重連は定期列車では夜間しか見ることができなかった。
上越国境のシェルパとして活躍をしていたEF16であるが、昭和55年10月には全機が引退して
新鋭EF64 1000番台にバトンを渡すことになった。
今では水上機関区も消滅してしまい、通過列車もシームレスとなった。
車号 | 種車 | 改造 | 廃車 | 備考 |
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EF1611 | EF1522 | 1951年11月 | 1981年5月 | 奥羽線用に改造(福米形) 昭和55年3月長岡機関区から転入 |
EF1612 | EF1523 | 1951年6月 | 1980年12月 | |
EF1620 | EF1516 | 1956年3月 | 1982年2月 | 上越線用に改造 |
EF1621 | EF1517 | 1981年12月 | ||
EF1622 | EF1519 | 1980年5月 | ||
EF1623 | EF1518 | 1956年2月 | 1980年9月 | |
EF1624 | EF1526 | 1957年3月 | 1979年10月 | |
EF1625 | EF1527 | 1957年1月 | 1982年3月 | |
EF1626 | EF1528 | 1957年3月 | 1980年10月 | |
EF1627 | EF1533 | 1957年11月 | 1979年10月 | |
EF1628 | EF1531 | 1957年12月 | 1981年12月 | |
EF1629 | EF1524 | 1958年1月 | 1980年10月 | |
EF1630 | EF1532 | 1958年3月 | 1980年5月 | 上越線用に改造 昭和53年10月長岡機関区から転入 |
EF1631 | EF1525 | 1980年6月 |