EF10 31号機

(昭和56~57年)




飯田線 EF10 31号機

年輪の様に重厚に塗重ねられた塗装は古豪の証






豊橋機関区にEF10型の最後の1両となってしまった31号機が在籍していた。
昭和50年代前半までは豊橋機関区にはEF10が11両配置(昭和50年3月)されていて飯田以南の貨物列車を担当していた。
しかしED62に主力の座を譲ってEF10は次々と廃車となってしまい、昭和54年にはとうとう31号機ただ1両を残すのみとなってしまった。
残されたEF10は定期運用は無く、ほとんど休車状態だった。
(実際に休車にもなっていた)
不確かな話で恐縮だが、佐久間ダムで工事があってその資材運搬をする臨時貨物列車運行の為にEF10が残されているといった話を聞いたような気がする。
しかしその臨時貨物列車も私が知る限りでは運行されたという話は聞かなかった。
その様な状況だったのでEF1031号機の活躍する姿を見ることは至難の業だった。




飯田線 EF10 31号機

豊橋機関区の庫の奥にしまわれたEF10 31号機






EF10は製造年によって外観が異なりバラエティーに富んでいた。
豊橋機関区に残された31号機は後期型でありボディーはEF56二次型やEF12と似ていた。
個人的にはEF53に似た全面に庇の付いているタイプやEF56一次型に似た丸みを帯びたタイプが好きだった。
昭和50年代初め頃まではEF10の第一次型や第二次型は山手貨物線や身延線で目にすることがあった。
首都圏や身延線・飯田線で活躍していたEF10であったが、昭和50年代前半には急速に廃車が進み写真を撮影する事が出来なかった。
その悔しさもあり、EF1031号機には特別な思いがあった。






EF10について

昭和9年、東海道線の丹那トンネルが開通して東京~沼津間が電化された。
その為東京~沼津間を1000tの列車を牽いて直通運転できる電気機関車が必要となり、製造された貨物用の機関車がEF10である。
EF10はEF53の設計を元として先輪を1軸として歯車比を1:4.15とした。
昭和9年~16年にかけて合計41両が製造された。

製造年製造両数車号備考車体の形状
昭和9年16両1~16 1次型EF53と同形の車体
昭和12年3両17~192次型EF56 1次型と同じ丸形車体
昭和13年5両20~243次型 一体鋳鋼製台車HT57
昭和14年1両25棒台枠台車EF56 2次型と同じ車体
昭和15年8両26~3330~33号機の4両は改良型の一体鋳鋼製台車HT58
昭和16年8両34~41棒台枠台車










飯田線 EF10 31号機

当時、飯田線の貨物輸送の主力はED62が担っていてEF10は予備的な存在だった






EF10 31号機が活躍する姿を初めて見たのは昭和56年5月に旧型国電を撮影に行ったときのことだった。
被写体となる旧型国電を待っていると、予期せずEF10が姿を現した。
下り列車に照準を合わせた場所にいたので、上り貨物列車は目の前にやってくるまで気付かなかった。 貨物のスジがあるのはわかっていたが まさかEF10が運転されているとは思わなかったので油断していた。
撮影準備が出来ていない私の前をEF10はゆっくりと通過していった。
辛うじてシャッターを切って撮影出来たのはかなり先に行ってしまった後ろ姿だけだった。




飯田線 EF10 31号機

辛うじて後姿に向かってシャッターが切れた

時又付近






EF10が見えなくなってからすぐにダイヤを確認した。
するとすぐ近くの時又駅で下り列車と交換する事がわかった。
私は急いで駅に向かった。
構図は二の次で良いからとにかく前面から撮影したかった。
しかし無情にも駅にたどり着くと同時にEF10の牽引する貨物列車は出発していった。
私は出発していくEF10の後ろ姿に向かってシャッターを切った。




飯田線 EF10 31号機

無情にも出発していくEF10

時又






ダイヤで後から出発する列車に乗ってEF10に追いつくことが出来ないか確認してみたが、急行を利用しても追いつくのは中部天竜であった。
私は別行動していた友人と待ち合わせをしていたので中部天竜まで行ってしまうとその約束が果たせない。
今みたいに携帯電話があれば予定を変更して豊橋経由で帰ると連絡出来るのだが、それが出来ないので泣く泣く諦めた。


その翌年の昭和57年4月にEF10撮影のチャンスがやってきた。
EF10が豊橋から飯田までの貨物列車を担当するという。
この時は事前に情報を入手することができたのでじっくりと作戦を練ることができた。
EF10が牽引する貨物列車は豊橋15時40分発の普通貨物265列車、終点の飯田には22時11分着だ。
265列車は豊橋を午後遅めに出発するので、まだ日が短いこの時期は走行写真を撮影できるのは飯田線南部に限られる。
また265列車は途中大海で後から来る1227Mに追い抜かれる。
それをうまく活かせば2回撮影するチャンスができる。
しかし1227Mのすぐ後から265列車が来るので、駅からあまり離れた撮影地まで行く時間はない。
また2回目の撮影は17時過ぎとなってしまい日没と追いかけっこだ。
ダイヤを見ながら色々と考えたあげく決まった計画は、
最初に茶臼山付近で265列車を撮影
その後茶臼山発16時58分の1227Mに乗車、三河槇原17時30分着
三河槇原で2回目の撮影を行うという計画だった。

当時私は、カラーはエクタクローム、モノクロはトライXを使用していた。
カラーの写真が欲しかったのだがASA(ISO)64のエクタクロームでは心細いので、慎重を期してトライX(ASA400)を使用することにした。




飯田線 EF10 31号機

やっと撮影できたEF10
念願の1枚!

東新町~茶臼山









飯田線 EF10 31号機

265列車を予定通り大海で追い抜き、三河槙原に先回りして2回目のシャッターチャンスを待つ
太陽は既に山の影となってしまった
刻々と露出計の値が下がり撮影出来るか不安になる中、18時近くにようやく265列車がやってきた
シャッター速度1/60 絞り開放(F1.4)でギリギリだった
265列車の速度が遅くて救われた

三河槇原






三河槇原で撮影終了後607M『急行 伊那7号』に乗って追いかければ、城西で265列車に追いつくことができた。
城西より先の駅でバルブで撮影することも可能だったが、帰れなくなってしまうのでそこまではしなかった。

その後も飯田線の撮影に行くことは何回もあったのだが、EF10の活躍する姿を見ることができたのはこの時が最後であった。
EF10最後の1両31号機はその後昭和58年に廃車となってしまい、EF10は形式消滅となった。