DF50は亜幹線で使用できる客貨兼用ディーゼル機関車として開発・製造された。
搭載したディーゼル機関で発電して100KW(500番台は110KW)の主電動機を6基を制御する電気式ディーゼル機関車である。
ディーゼル機関は2種類あり、ズルツァー機関搭載車は1号機~、マン機関搭載車は501号機~と区分している。
(機関 Sulzer=8LDA25A 1060PS/800rpm ,MAN=V6V22/30 1200PS/900rpm)
線路規格の低い線区でも使用できるように軸重を14tにおさえて、横圧軽減のために軸配置をB-B-Bとしている。
DF50は山陰線・紀勢線・日豊線・四国などに投入された。
総勢138両が製造されたうち、四国には44両が配置された。
非電化区間の無煙化に貢献した近代化の立役者であったDF50であったが、DD51の登場によりだんだんと活躍の場を狭められた。
そして昭和55年当時には四国に活躍の場を残すのみになってしまった。
当時の土讃本線には客車列車も多く運転されていてDF50の活躍を見ることができた。
吉野川に沿った風光明媚な景色の中を走る列車は、のんびりと走る客車列車がよく似合っていた。
山深い中を走る土讃本線はスイッチバックの駅がいくつかあり、それを丁寧に停車していく列車は旅情が感じられた。
四国には0番台のズルツァー型と500番台のマン型の両方が活躍していた。
マン型は数が少なくなかなかその姿を見ることができなかった。
斗賀野~多ノ郷間はDF50重連の貨物列車が走っていた。
私が訪問した時は運悪く工場が休みで運休だった。
(情報が容易に入らなかったのでよくこういう失敗をした。)
DF50は昭和56年10月に定期旅客運用を終了、貨物運用のみになった。
残った貨物運用も昭和58年9月に終了、DF50は全機が引退した。
現在DF50 1号機は準鉄道記念物として四国鉄道文化館に保存・展示されている。