別府鉄道は多木化学で生産する肥料を輸送する目的で敷設された。
別府鉄道は大正4年7月5日に初代社長の多木久米次郎氏らによって創設された。
多木久米次郎氏は家業の魚肥商を継いで肥料の生産を行った。
この魚肥は価格が高かったため、多木久米次郎氏は肥料の価格を下げるべく人工肥料の生産に取り組んだ。
それが多木化学の始まりである。
そのような背景から生産が始まった人造肥料は荷車により山陽鉄道の土山か加古川まで運びそこから貨車に積んで出荷するか、
別府港から神戸港まで船便で輸送してそこから貨車に積み込んで出荷していた。
その不便を解消する目的で別府鉄道が計画された。
それから計画変更等の紆余曲折を経て大正10年8月30日に野口線野口~別府港間が完成した。
その後大正12年3月18日に土山線土山~別府港間が完成した。
土山線開業によりその後の貨物輸送はすべて土山線経由となった。
貨物輸送の行われなくなった野口線は昭和18年まで加古川駅まで乗り入れが行われていた。
昭和5年11月日本車両製 佐久鉄道のキホハニ56として製作される。
佐久鉄道が鉄道省に買収されてキハニ40605からキハニ40706となり、その後昭和17年に廃車となる。昭和19年4月に三岐鉄道に払い下げされて復活、キハニ6を経てキハ6となる。
別府鉄道には昭和34年8月に入線、キハ3となる。機関は日野DA-55 80PS1基
昭和9年川崎車両製 鉄道省のキハ41507として製造される。定員は109人、機関はGMF13 100PSのガソリンエンジンだった。
昭和27年に同和鉱業片上鉄道のキハ3001となる。昭和31年9月11日に機関をDMF13 135PSディーゼルエンジンに変更する。
昭和42年10月に機械式変速機を液体式変速機に変更、ドアエンジンを取り付けてキハ301となる。
その後昭和49年に別府鉄道に入線してキハ101となる。
昭和28年川崎車両製 倉敷市交通局DC501として製造される。
自重30t機関はDMH36 300PS(1300rpm) 機械式変速機だった。
昭和41年6月に別府鉄道に入線DC302となる
キハ2[2代目] |
昭和6年7月日本車両製 三岐鉄道開業時に新製された 三岐鉄道でその後キハ1形5に改称、昭和39年12月10日に別府鉄道に入線 キハ2(2代目)となる 機関は日野DA-55 80PS1基(キハ3と同じ) |
---|---|
ハフ5 |
昭和5年5月 日本車両製 神中鉄道のガソリンカー キハ10として製造された 神中鉄道で昭和14年に機関と運転室を撤去してハ10形となる 昭和24年三岐鉄道に譲渡されハフ14となる 別府鉄道には昭和34年に入線、ハフ5となる |
ハフ7 |
大正15年 汽車会社製 神中鉄道創業時に新造された 神中鉄道ではハ20形24として活躍していた 昭和24年三岐鉄道に譲渡されハフ16となる 昭和33年頃三岐鉄道で外板を鋼板張りに改造する 別府鉄道には昭和34年7月に入線、ハフ7となる 屋根は防水シート張りにされた |
DD502 |
昭和37年 日立製作所製 新日鉄D4502として製造された 別府鉄道には昭和53年入線、DD502となる 詳細は不明 |
DB201 |
昭和40年11月 三菱重工三原製作所製 新製時から別府鉄道に入線 230PS 速度が25㎞/h位しか出ない |
DD1351 |
昭和32年12月 汽車会社製 江若鉄道DD1351として製造された 別府鉄道には昭和45年2月入線 国鉄DD13の試作的な機関車 機関はDMF31S 370PS2基 土山線の最終列車の先頭に立つ |