北海道にはかつて多くの炭鉱があった。
中でも道央にある石狩炭田には夕張・空知地区が含まれていて多くの炭鉱が集中していた。
芦別市にあった三井石炭鉱業芦別鉱業所もそのうちの一つでに三井鉱山により開抗された。
簡単に歴史を振り返ると、明治40年に三井鉱山によって地質調査を開始、昭和13年芦別鉱業所を設置して試掘を開始、昭和14年7月第1抗を着工、昭和16年1月出炭を開始した。
昭和19年4月には増産のために頼城地区に第2抗を開抗した。
昭和35年合理化のために第1・第2抗を統合、出炭・選炭・積込みを頼城で行うようになった。
産出された石炭は石炭輸送の目的で昭和15年に開通した三井芦別鉄道により炭鉱のあった頼城駅から根室本線の芦別まで運ばれた。
(頼城までの開業は昭和20年)
昭和56年に三井石炭鉱業芦別鉱業所の専用軌道を見るために訪れた。
専用軌道は坑内と抗外にあったが坑内軌道はもちろん一般人は見ることができず、私は抗外軌道を見せてもらった。
抗外軌道は主に坑内へ充填ズリや抗木などの資材を運び込む為に使われていた。
充填ズリを運搬する区間は電化されていてTL(トロリーロコ)が使用されていた。
電化区間はほとんどが雪よけの為の屋根で覆われていた。
資材を積んである土場などは屋外にあり、電化されておらずここではDLが働いていた。
私が訪問した直後には新しい斜坑が完成、まだまだ炭鉱が健在な頃だった。
三井石炭鉱業芦別鉱業所は私が訪問した昭和56年に新しく斜坑を建設するなど近代化に努めていて、まだまだ採炭を続けるものと思っていた。
しかし石炭産業の苦境は厳しいものだったらしく、ついに平成4年閉山となってしまった。