昭和57年の春に山陰本線を走る列車を撮影するために餘部鉄橋を訪れた。 餘部鉄橋は当時東洋一のトレッスル橋ともいわれていて、そこを通過する列車からは日本海の風光明媚な景色を見ることができた。 当時の山陰本線ではDD51が牽引する列車や82系特急型気動車、58系・28系の急行型気動車などが活躍していた。 山陰本線の列車は長距離を運転する列車が多かった。当時最長距離を走る鈍行列車も山陰本線を走っていた。