私が初めて明延鉱山の軌道の存在を知ったのは確か模型誌に掲載されていた記事だと思う。
そこに載っていたモノクロ写真には何とも愛嬌のある形をした車両たちが写っていた。
鉱山のある明延と選鉱所のある神子畑を結ぶ軌道は長いトンネルで結ばれていて、そこを走る人車には関係者は一円で便乗出来るとその記事には記してあった。
しかしその本は既に発行から何年も経過していた。
その本に載っていた別の記事には木曾森林鉄道や頸城鉄道が記載されていたが、どちらもとうの昔に廃止になっていた。
不安に思いながらも調べてみると、なんと明延の鉱山軌道は存在していることが判明した。
さっそく鉱山事務所に問い合わせてみると訪問・見学の許可を得ることができたので夜行列車を乗り継ぎ訪問した。
明延と神子畑を結ぶ軌道は762㎜だった。
そのほかに構内から508㎜の軌道が延びてきていて明延の構内の一部は3線軌道となっていた。
原始的な転てつ機や小さなターンテーブルなどがあって見ていて飽きなかった。
人車の乗り場には『社用の者・社員および家族以外には乗車できない』旨の看板が立てられていた。
私たちが訪問する10年ほど前の昭和46年頃にマスコミにより『一円で乗れる電車』ということで大々的に報道されたことがあったそうだ。
その際に多くの人が訪問して鉱山関係者の注意を聞かないで業務に支障を生じたので関係者以外の訪問を禁じていた時があったそうだ。
私はそのようなことがあったことを訪問する直前に知った。
その為人車の乗車はあきらめていて、見学を許可してもらえるだけで十分だった。
せめて人車の出発風景を撮影しようと準備していると、出発時間間際に待合室に関係者の方が切符入れた箱を手にしてやってきた。
するとその人が『神子畑まで行ってきたら』と言ってくれた。
『本当にいいんですか?』と聞きなおした私たちに一円の乗車券を2枚ずつ渡してくれた。
私たちは大喜びで『くろがね』号の乗客となった。
人車は私たちが乗り込んで程なく出発した。
乗客は私たちだけだった。
車輪の振動が直接響いてくるような騒音で車内は会話もできないような状態だった。
素掘りの長いトンネルを白熱灯の明かりで進んでいく時間は貴重な体験だった。
神子畑で折り返しの時間いっぱいまで神子畑の構内を見学した。
神子畑から折り返して明延に着いた興奮が冷めやらない私たちは関係者の方にお礼をして帰路についた。