磐越西線

(昭和56~60年)




磐越西線 ED77

会津磐梯山をバックに磐越西線電化区間の主力ED77が行く

翁島~磐梯町
(昭和56年10月)






磐越西線は郡山と新津を結んでいて、郡山~喜多方間は電化されていた。
私が訪問した当時の旅客列車は、優等列車は動力分散方式の電車・気動車、普通列車は客車列車が多かった。
郡山~会津若松間の客車列車と貨物列車の牽引はED77が担当し、会津若松~新津間はDD51が担当していた。
磐越西線は会津若松で進行方向を変えると同時に、直通列車はここで機関車の交換を行っていた。
会津若松には運転区がありここで会津地方の鉄道の車両管理を行っていた。




磐越西線 ED77

ススキをかき分けながら高原地帯を走るED77

翁島~磐梯町
(昭和56年10月)









磐越西線 ED77

猪苗代湖湖畔の関都駅で客車列車同士の交換

関都
(昭和56年10月)









磐越西線 ED77

磐越西線の普通列車は客車列車が主力だった

猪苗代
(昭和56年10月)






ED77について

ED77は支線区用として製作された交流機関車である。
ED75を種車として全サイリスタ制御、軸配置をB-2-Bの軸重可変方式とした。
最初試作機としてED93が1両製作されたが後に量産化改造されてED77901号機となった。
量産車は15両が製作された。
901号機を含めたED77全16両は福島機関区に配置されて磐越西線で活躍した。
ED77は全機が磐越西線でその生涯を送った。




磐越西線 ED77

ED77 1号機
磐越西線の郡山~会津若松間の客車列車・貨物列車の牽引はED77が担当していた

会津若松
(昭和56年8月)









磐越西線 ED77

ED77 7号機
全検出場直後のピカピカの姿

会津若松

(昭和56年8月)









磐越西線 ED77

次位の機関車が元ED93のED77 901号機
観測ドームに特徴がある

中山宿
(昭和56年10月)









磐越西線 ED77

ED77の所属は福島機関区だったが通常は会津若松運転区で運用・管理されていた

会津若松
(昭和56年8月)









磐越西線 ED77 キハ55

会津若松運転区では気動車の管理も行っていた
キハ55とED77


会津若松
(昭和56年8月)









磐越西線 455系

上野~喜多方を運転していた455系の急行『ばんだい』

翁島~磐梯町
(昭和56年10月)









磐越西線 455系

スイッチ・バックだった中山宿を通過する『ばんだい』
上野~郡山間は『まつしま』『いわて』『ざおう』などと併結して運転されていた

中山宿
(昭和56年10月)









磐越西線 キハ58

上野~新潟を磐越西線経由で結んでいた急行『いいで』
上野~郡山間は『ざおう』と併結されていた

翁島~磐梯町
(昭和56年10月)









磐越西線 キハ52

急行『いなわしろ』
仙台~喜多方・会津田島・只見を結んでいた
喜多方行を分割した後、会津線会津田島行と・只見線只見行が出発を持つ

会津若松
(昭和57年1月)









磐越西線 DD51

磐越西線の非電化区間ではDD51が客車列車を牽引した

東下条
(昭和60年1月)









磐越西線 DD51

磐越西線の列車は一部が新潟まで運転されていた

新津
(昭和60年1月)









磐越西線 雑形客車

新津
(昭和60年1月)









磐越西線 DD51

凍てついた早出川を渡る

五泉~猿和田
(昭和60年1月)









磐越西線 ED77

関都
(昭和58年11月)









磐越西線 ED77

猪苗代
(昭和58年1月)









磐越西線 ED77

スイッチ・バックだった中山宿で急行列車をやり過ごすED77牽引の客車列車

中山宿
(昭和56年10月)









磐越西線 ED77

重連で貨物列車を牽引

翁島~磐梯町
(昭和56年10月)









磐越西線 DD51

東下条
(昭和60年1月)