飯田線の80系

(昭和54~58年)




80系 飯田線

飯田線で活躍していた80系300番台

伊那田島
(昭和57年4月)






80系は『湘南電車』として幹線で華々しい活躍をしていた。
特徴ある前面2枚窓と湘南色の鮮やかに塗られた車体は長編成がふさわしかった。
しかし幹線での活躍の場は徐々に減って昭和53年頃には山陽本線から、昭和54年10月には中央西線・篠ノ井線から姿を消して行った。
そして80系は飯田線に残るのみとなってしまった。




80系 飯田線

飯田線では主に4両編成で運用されていた

湯谷~三河大野
(昭和56年8月)









80系 飯田線

朝日を浴びて古刹を行く

長篠城~鳥居
(昭和56年3月)









80系 飯田線

緑に覆われた山間部を行く

東栄~出馬
(昭和57年5月)









80系 飯田線

同僚の旧型国電と並んで出発を待つ

豊橋
(昭和56年3月)









80系 飯田線

ノーシル・ノーヘッダーの車体は旧型国電に比べて近代的だった

東栄~出馬
(昭和57年5月)






80系はそれまでの電車と違って編成単位での運転をする設計だった。
ブレーキは15両編成でも対応できるARE方式として長編成でも対応できるようにした。
昭和24年9月に発注、昭和25年3月に運転が開始された。
その後も細部の設計変更を行いながら昭和33年までに652両が製作された。




80系 飯田線

冬枯れの伊那谷を行く

下平
(昭和58年2月)









80系 飯田線

山間の駅で交換列車を待つ

小和田
(昭和57年5月)









80系 飯田線

飯田線の名所・渡らずの鉄橋を行く

城西~向市場
(昭和57年8月)









80系 飯田線

かつての活躍の場・東海道線の線路を横目に飯田線を走る80系

下地
(昭和54年8月)









80系 飯田線

伊那谷を駆ける

下平
(昭和56年5月)









80系 飯田線

三河川合
(昭和57年8月)









80系 飯田線

豊橋口では朝夕に6連の列車も運転されていた

大海
(昭和57年4月)









80系 飯田線

6連の列車は基本の4両にクハ85+モハ80の2両が連結された
クハ85は100番台でサハ87 300番台の改造車

鳥居
(昭和57年4月)









80系 飯田線

主に増結用で運用されていたクハ85だが、引退間近には4連の運用に組み込まれていた

伊那大島~上片桐
(昭和58年2月)









80系 飯田線

同僚の旧型国電と交換

大嵐
(昭和57年5月)









80系 飯田線

飯田線で活躍していた80系一族のクモニ83100番台
クモユニ81から改造された
スカ色に塗られて旧型国電とペアを組んでいた

三河大野
(昭和56年8月)






車齢の比較的若い80系だったが2扉デッキ付きの車体構造と、中間電動車方式の為最低でも4両編成を組む必要があることが災いしてなかなか活躍の場が無かった。
飯田線で活躍した80系も昭和57年11~12月に165系、昭和58年2月に119系に役目を譲り、同僚の旧型国電よりも一足早く引退することとなった。




80系 飯田線

勢ぞろいした80系
ED62も顔を見せる

中部天竜
(昭和57年4月)









80系 飯田線

早春の中央アルプスをバックに

大田切
(昭和56年3月)









80系 飯田線

大沢信号所~伊那田島
(昭和57年4月)









80系 飯田線

雨の山間部を駆け抜ける

平岡~為栗
(昭和57年5月)









80系 飯田線

残雪の伊那谷を行く

高遠原~七久保
(昭和57年2月)









80系 飯田線

桜と80系の顔合わせもこの年が最後となった

上市場
(昭和57年4月)









80系 飯田線

上市場
(昭和57年4月)









80系 飯田線

上市場
(昭和57年4月)









80系 飯田線

新緑の中を走る

東栄~出馬
(昭和57年5月)









80系 飯田線

辰野
(昭和57年4月)