80系は『湘南電車』として幹線で華々しい活躍をしていた。
特徴ある前面2枚窓と湘南色の鮮やかに塗られた車体は長編成がふさわしかった。
しかし幹線での活躍の場は徐々に減って昭和53年頃には山陽本線から、昭和54年10月には中央西線・篠ノ井線から姿を消して行った。
そして80系は飯田線に残るのみとなってしまった。
80系はそれまでの電車と違って編成単位での運転をする設計だった。
ブレーキは15両編成でも対応できるARE方式として長編成でも対応できるようにした。
昭和24年9月に発注、昭和25年3月に運転が開始された。
その後も細部の設計変更を行いながら昭和33年までに652両が製作された。
車齢の比較的若い80系だったが2扉デッキ付きの車体構造と、中間電動車方式の為最低でも4両編成を組む必要があることが災いしてなかなか活躍の場が無かった。
飯田線で活躍した80系も昭和57年11~12月に165系、昭和58年2月に119系に役目を譲り、同僚の旧型国電よりも一足早く引退することとなった。