福塩線の70系

(昭和54年)




福塩線 70系 1次車 湯田村

70系1次車 シルヘッダー付のクハ76を先頭に快走する

湯田村






福塩線電化区間の福山~府中間で一時期70系が活躍していた。
70系は80系と瓜二つの湘南スタイルの2枚窓の前面、主電動機はMT40、歯車比は80系と同一の1:2.56、台車は同時期に製造された80系とほぼ同一と兄弟のようだった。
違いは80系では2扉デッキ付きのクロスシートなのに対して70系は3扉セミクロスシートであった。
構造でも80系は他の形式との混結は想定しておらずブレーキに長大編成に適したAER方式を採用していていたが、70系は他形式との混結を考慮してブレーキ方式にAER方式を採用しなかった。
70系は昭和26年に登場して横須賀線と京阪神に投入された。
この時に塗装された三浦半島の白砂と青松を表現した色は『スカ色』として国鉄車両の代表的塗り分けの一つとなっている。
当初製造された形式はクハ76、モハ70、サロ45(後のサロ75)の3形式でサハは製造されなかった。
これはサハについては従来からある車両(旧型国電)を充当すれば良いとの考えだった。
昭和27年に山岳用にモハ70 800番台(後のモハ71)も登場した。
昭和30年には阪和線にも投入、その後も新潟地区や中央西線に活躍の場を広げていった。
昭和43年には走り慣れた横須賀線の新性能化が完了した。
余剰となった車両は地方へ転出して、宇野線、両毛線などに活躍の場を求めていった。
70系の地方進出に伴い余剰となったサロ75はサハ75やクハ75に改造された。
昭和51年には『山スカ』のニックネームで親しまれた71系が岡多線に転属となった。
昭和52年には阪和線の70系が福塩線に転属となった 。
旧型国電との併結が可能である点や3扉セミクロスシートの設備など汎用性の高さから、70系は長く活躍するものと思っていたが転属先は中々無かった。
昭和53年には両毛線・吾妻線・新潟地区・広島地区・中央西線・岡多線と次々に70系は姿を消していった。
そして70系は福塩線に残るのみとなってしまった。





福塩線 70系 福山

電留線で出番を待つ70系
福山城をバックに

福山









福塩線 70系

備後本庄






昭和54年に70系を撮影するために福塩線を訪問した。
しかし初めての訪問で撮影場所の知識もなく、また時間も限られていたので駆け足での撮影行だった。
地図を見ながら撮影に適していそうな場所をピックアップして電車の中からロケハン、そして撮影地を決めていた。
しかし実際に行ってみると撮影に適していないところも多くて、あまり多くの点数の写真を撮影することはできなかった。





福塩線 70系 湯田村

300番台の全金属車
シルヘッダーの無いスマートな編成は300番台の全金属車

湯田村付近









福塩線 70系 近田

近田









福塩線 70系 湯田村

300番台の内装は新性能車と比較してもあまり遜色のないものでまだまだ活躍するものと思っていた

湯田村






福塩線に70系が配置されたのは昭和52年6月、その年の10月には旧型車を一掃して70系の独壇場となった。
しかし昭和56年には新製された105系に役目を譲り昭和56年3月1日のさようなら運転を最後に引退した。
70系が福塩線を走ったのは約3年半の短い期間だった。
この福塩線での引退を最後に70系は形式消滅することとなった。
80系の華々しいデビューに比べると控えめなデビューだった70系は、福塩線を最後に約30年の歴史に幕を下ろした。




福塩線 70系 近田

近田付近









福塩線 70系 湯田村

湯田村付近









府中電車区の70系配置車(昭和55年2月)

形式車号
モハ70 073 075 076 311 312 313 314 315 316 317 318 319
クハ76 083 090 094 307 308 309 310 311 312 313 314 315