581・583系

(昭和53~60年)




583系 はつかり

『はつかり』

蒲須坂~片岡
(昭和57年5月)






581・583系は寝台電車として開発された。
交直両用の特急型車両で昼は座席車、夜は寝台車として昼夜効率の良い運用ができるように設計された。
581系は直流と交流60Hzに対応・583系は直流と交流50・60Hzの3電源に対応した。
昭和42年に581系が誕生、山陽・九州地区で運用を始めた。
昭和43年には3電源に対応した583系が登場、東北地区で運用を開始した。
西日本では関西~九州間の寝台列車を中心に、間合いで九州内と北陸本線の昼行列車で運用された。
東日本では東北本線・常磐線で運用された。




583系 はつかり

東北を縦貫する特急『はつかり』

蒲須坂~片岡
(昭和55年8月)









583系 はつかり

53年10月改正前はトレインマークにイラストはなかった

上野
(昭和53年)









583系 ゆうづる

客車と電車の『ゆうづる』が並んだ
『ゆうづる』は上野~青森間を常磐線経由で結ぶ寝台特急だった
7往復中2往復が583系だった

上野
(昭和53年)









583系 はくつる

上野~青森間を東北本線経由で運転していた寝台特急『はくつる』

蒲須坂~片岡
(昭和57年5月)









583系 みちのく

常磐線経由の昼行列車として上野~青森間を運転していた『みちのく』

北小金~南柏
(昭和年57月11月)









583系 明星

新大阪~博多間を運転していた『明星』
関西と九州を結ぶ寝台特急の運用に就く583系は向日町運転所の所属だった
『明星』は3往復(内1往復は季節列車)の設定があったが、1往復が583系の担当だった

大阪
(昭和57年8月)









583系 金星

中京圏と九州を結ぶ寝台特急として名古屋~博多間を運転していた『金星』

名古屋
(昭和57年9月)









583系 雷鳥

関西と北陸地方を結ぶ『雷鳥』

大阪
(昭和年57月3月)









583系 雷鳥

北陸本線では583系は昼行列車として運用されていた

小松
(昭和57年10月)









583系 にちりん

関西から寝台列車として九州入りした583系は、間合い運用で『有明』と『にちりん』の運用に就いていた

宮崎
(昭和57年8月)









583系 にちりん

終着駅に着いた『にちりん』
日中の運用を終えると座席から寝台への転換作業を行い、休む間もなく寝台列車としての運用に就く

博多
(昭和57年8月)









583系 なは

新大阪~西鹿児島間を結んでいた『なは』

熊本
(昭和57年8月)









583系 雷鳥

『雷鳥』が鳩原ループを行く

新疋田~敦賀
(昭和年57月10月)






581・583系は幹線を走る花形車両として昼夜を問わず活躍した。
しかし新幹線の延伸や飛行機の大衆化によって夜行列車の需要は減少傾向となり、ダイヤ改正の度に夜行列車の運行本数は削減されていった。
設備面でも581・583系の3段寝台は新しく登場した2段寝台客車と比べて見劣りした。
昼行列車として運用時の座席も、当時特急車両では当たり前だった転換クロスシートと比べて4人向かい合わせの座席は嫌われた。
昼夜を問わず効率的な運用を組める半面、酷使されたために車両自体の老朽化も進んできた。
その為、昭和50年代後半から581・583系は活躍の場が徐々に減少傾向となっていった。




583系 はつかり

『はつかり』は東北新幹線の上野開業に伴い、運転区間が盛岡~青森に短縮された

日暮里
(昭和57年6月)









583系 はつかり

東大宮~蓮田
(昭和57年6月)









583系 はつかり

金谷川~南福島
(昭和57年11月)









583系 はつかり

日が傾く中、大築堤を行く『はつかり』

金谷川~南福島
(昭和57年11月)









583系 はつかり

『はつかり』が上野まで顔を出すのもあと僅かの頃

大宮
(昭和57年11月)









583系 ふるさと

東北新幹線が上野開業後に、臨時列車として運転された『ふるさと』
上野~青森間を東北本線経由で日中に運転された

上野
(昭和60年1月)