京浜工業地帯の片隅で17メートル級の旧型国電が活躍していた。
南武線の支線尻手~浜川崎間はクモハ11とクハ16の2両編成、鶴見線の大川支線武蔵白石~大川はクモハ12の単行が運行にあたっていた。
当時、国鉄の路線で旅客営業を行っていた17メートル車はここだけで貴重な存在だった。
どちらの線区も朝夕は通勤客でにぎわっていたが日中は閑散としていてローカルムードが漂っていた。
ひっそりとがんばっていた旧型車だったが、昭和55年には101系の2連にその使命を譲り引退していった。
さようなら運転は行われずひっそりと消えていった。
鶴見線の大川支線では旧モハ31形の両運転台改造車が通勤輸送を頑張っていた。
大川支線のクモハ12は特殊な線路条件に助けられてJR発足後も活躍した。
宇部線の長門本山支線のクモハ42と共に旧型国電の最後の砦となった。